もしもの備え

今週のお題<もしもの備え>という記事を先日たまたま目にしたので、

私も“もしもの備え”というお題で書いてみたいと思います^^

 

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「もしもの時に、○○だったら困るから、○○になったら怖いから」

というもしもの備えと、

 

「いつ何が起きても何も変わらずいられる為」

に日頃から自分の体や心や感情を安定させるということを準備しておくという意味でのもしもの備え、

 

同じ“もしもの備え”でも随分と違います。

 

前者は不安や恐れといったネガティブな思いからくる準備ですが、

後者はいつも自分が安定して楽に幸せでいるためという発展的な思いが発端の準備です。

 

ネガティブな思いが発端で行うすべてのことには、

いつも不安や恐れや妬み嫉みなどのストレスがつきまといます。

 

どうせ同じ準備をするならストレスを抱えながらの準備より、

より自分がハッピーになるための準備の方がよいなぁと数年前に私は思いました。

 

そう思うようになってから自分の中を見直し、

これはネガティブな思いから行っているなぁと自分でわかったことを片っ端から止めてみたら、

ストレスが減り自分でもビックリするくらい心も体も軽くなり、

更にその時は特別なことは何もしていないのに体重までも減りましたっ(・ω・ノ)ノ!

 

不安や恐れや苦痛を材料に何かを創れば、

出来上がるものも当然不安や恐れや苦痛です。

 

逆に安心や安定や幸せを材料に何かを創ると、

安心や安定や幸せが出来上がります(*^^*)

 

 

みかん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意図を観る

始めていく場所で少し遠くだったのですが

久しぶりにカーナビのない車を借りて仕事に行きました。

スマホにカーナビのアプリがあるので目的地をセットして出発です。

借りた車なのでスマホを充電をするケーブルがありません。

目的地に着くころにはバッテリーが半分くらいに減っていました。

仕事で電話をしたりスマホで調べ物をしたりしていると

バッテリーが10%以下になり帰るころには

ほぼバッテリーの残量がありませんでした。

帰宅するのに車に乗り込みナビを自宅にセットして

「何とか知っている道まで案内してくれー」と出発したのですが

数分でバッテリーがなくなり案内終了!

どっちに行けばよいのか全く分からなくなり

自分の感覚をたよりに車を走らせます。

雲行きがあやしくなりものすごい雨も降ってきてますます判らなくなってきます。

「全然違う方向だったらどうしよう」と少し不安になりましたが

大きく外れることなく何とか知っている道に出ることができました。

ナビがあることが普通になりすぎていて

当初の感動やありがたさを今一度思い出させてくれました。

 

そもそもなぜこんな出来事が起きたのか

自分の車で行けば問題が起こることもなかったでしょう

どうして遠くに行くのによりによってその車なのか、

なぜ道に迷っているときに土砂降りの雨だったのか、

この出来事は何を証明したかったのか、

ひとつひとつのことの意図を観て解決していくと

道が開けていきます。

 

きゆるぎの道も

道をはずれぬよう導いてくださり

最短最速の道をいつも示してくれる宗家、仲間が

いてくださることが当たり前のように感じていますが

今一度、感謝の気持ちがこんな出来事からも感じました。

 

 

軌道修正

私は人前で話すことや文章を書くことが苦手です

 

話をしているうちに

何を言いたかったのかを

忘れてしまうことがあります

 

人生も

目的に向かっていたはずなのに

気づくと違う方向に向いていることが

あります

 

これはすぐに気づいて

軌道修正する必要があります!

 

話がズレてしまうのも

人生が違う方向に向いてしまうのも

自分の中に目的に向かいたいという

意図とは違う意図があるからです

 

それに一早く氣づいて

自分の本当の望みを知り

軌道修正して

目的に向かっていくことを

何度も繰り返しながら

スピリチュアルな道が

深まっていくのです

 

一度決めたら

目的(ゴール)が達成できるまで

舵を取り続けること

やり通すことが成功への道なのです

 

諦めずにやっていきます(^^)

原動力

ここ最近、自分自身の在り方について考えることが多くなったせいか、ある日、ふと、耳に入った言葉がありました。


人の価値はその人物が世界に何を刻んだかで決まる。

短くとも、真実を含んだ言葉だと思いました。
何者として生きるのか。人とは、そこに真髄のあるものだとも思います。


自分自身がどのような生き方を望むのか、それは積み重ねていく人生そのものでもあります。

生きているとは、誰しもが、喜怒哀楽のある貴重な体験をしているとも言えます。どんな人物でも、時には迷い、考えることもあるでしょう。

そんな時、その先を決めるのは、やはり、どんな生き方を望むのか、どうやって行きたいと思うのか、それに尽きるとも思います。


思いの力は、祈りの力でもあり、生きる原動力でもあります。

          eye

さて、目標に向かいはじめると、
与えていただいているものを取りこぼしたり、明らかにポイしている自分に何度となく出会います。

叶えたいの?叶えたくないの?
どっちよ?
と、自分に突っ込みたいですが、

明らかに目標に向かわせない自分が自分の内で暗躍しているのは間違いなさそうです。

なんかもういいかな~、そんな誘いの手をとってしまう自分がいて
自分を明け渡してしまったり。


そんな目標に向かわせない何かに
主導権を持っていかれずに
目標を叶えるためのものを受け取り為していく自分であり続けるには
どうすればいいのでしょうか?

ここまで書いてしばらく筆が止まっていました。


目標を叶えるためのものを受け取り為していく自分であり続けるには
目標を受け取りなしていく自分でありたい
と、強く望むことです。

そうすると、望みに応じて
受け取りなしていく自分になれる為の
ものが与えられるようです。

外聞を大事にする(^^)

何かを願ったあと

「これをやろう!」と、何かを決めたあと

「こうなるぞ!」と決意したあと


そんな時、

どんな言葉が自分の耳に飛び込んできたか?

は、とても大事



誰かから言われた事

ふと耳に入ってきた誰かの話し


それに、留意してみると、

自分が一歩すすむ、大きなヒントになることが多々あります


そして、「これやってみたら?」といった、

自分がステップアップしそうなお話しには、

食いつくべしっ


「そんな事、無理だよ〜」とか、

「いつか出来る様になったら、やります」

とか言ってたら、

チャンスをみすみす逃がす事になります(>人<;)



願ったあと、

「これやってごらん」という言葉に、

すぐに飛び乗って、それを成すためにがんはっていたら、


願った事が現実に!!(*≧∀≦*)



みどりん




間違えました!

久しぶりにプログラミングをしました。
といっても、とても簡単な、短いものです。

けれど、思いのほか、手こずりました。
思ったように動かないのです。


初めから、見直していきます。
間違いそうな箇所を見ては、

「ここはこう書いたよな~」
「間違ってないよな~」

確認していきますが、なかなかうまく動かない理由がわかりません。


そこで、ハタと氣づきました。

「ここは間違ってないよな~」

の裏には、
間違いを探しているふりをしながら、実は

「私は間違ってないのに、なんで動かないんだよ!」

という文句を抱えながら、見ていたのです。


そりゃー間違いが見つかるわけありません。
何をどう見ても、
「自分は間違ってない!」という理由に結び付けようとしてしまうからです。

 

上手く動いていないわけですから、
自分がどう思っていようと、間違っているんです!

ですから、直ちに、

「自分が間違えた」


という認識に変え、見直していきます。


すると、
一行一行の見方扱い方が変わり、
すぐに間違い氣付き、直すことができました。


***


自分の人生にうまく行かないことが起きたとき、
なかなか原因が分からないことがあります。

けれど、
「分からない」の裏には必ず文句があります。


「だって私、間違ってないもん!」

そんな文句に氣付き、
「自分が間違えた」
と認めること、

実はこれが、
何より難しいことで、

それさえ認められれば、
原因は思いのほか、簡単に見つかり、解決できるものです。


間違った自分を許し、認める
それが、解決の近道。


うまく行かないことに出会ったら、お試しください(*^^*)

 

きんとうん