公平なジャッジ


周りを通してでも、直接でも、
自分のことを観ていく時、
公平なジャッジを心がけている。

ついつい氣がつくと、
無意識に自分に甘いことがある。

自分の無価値感や罪悪感が反映されて甘くなる。

だからこそ、
それまでのプロセスや祈って出てきたことだろうと
そんなことは関係ない。

純粋にただただ結果だけを今の自分を知る材料にする。

自分が上手くいっているか、
周りが上手くいっているか。

それが全てだということを忘れないように。

祈って出てきたことでも、
結果、自分の自己満足だったということも正直ある。

そういう時は、もう一度自分の意図をよ〜く見直してみる。

祈って出てきたことと言って、神様利用して、
自分の何を満たそうとしていたのか。

エゴってる自分にとったらその作業は、
とてつもなく嫌だし、怖いし、認めがたいし、許しがたいこと。

そのままの自分で癒しの行程に入っても事態をややこしくするだけなので、
もう一度ちゃんと体緩めて、心も緩めて、時にはきゆるぎグッズの力を借りて中心に戻ることに専念する。

時間がかかっても何でも中心に戻るまでは、
癒しの行程へは進まない。

そこを曖昧にしていた結果、
癒しても現実変わりませんっていう失敗を何度もしてきた。

癒すって、ふんわりぼんやり何となくの雰囲気でも、
複雑なことでもない。

とても理にかなっていて、とてもシンプル。

工場のラインのお仕事みたいに淡々としている。
そこに感情が入るからややこしくなる。

そういう時は、感情の浄化からやればいい。


必要なアイテムはもう全部持っている。


その精度を上げるべく、次のstage2も楽しもう(*^^*)



みかん