見ている世界

あの人、そうは言ってるけどきっとやらないんだろうな
こんなこと、しでかすんじゃないかな

そんな風に人のことをみてしまうとき、
その人の神聖さではなく、エゴにフォーカスしている

そして、その時見ているのは、他でもない、
自分の神聖さを信じていない自分のエゴ

自分の神聖さを信じていないから、人の神聖さも信じられない
人からこんなことされるんじゃないか
あのひとは、きっとこんなことしでかす
って、ネガティブなことばっかり想像する

***

こんな出来事を思い出した。

あるとき、セッションのお申込み期限までに、いつも申し込みしてくる人から申し込みが無かったことがあった。

忘れてるのかな?そう思い、宗家に相談すると
「申込来るでしょ、準備しておいてあげて」
そうおっしゃって、その方へのプレゼントも用意されていました。

その日の夜
その方から、「お申込み忘れてました!」との連絡が入り、
その方も、無事セッション受けられることに。
そして、後日、そのプレゼントも受け取られ、
「あのプレゼントのおかげで、自分が本当に何をしたいのか、魂が求めているものを思い出させていただきました。」
とおっしゃいました。

それを聞いた時、
宗家は、
そのプレゼントの意味を本当に理解し、ちゃんと受け取ってくださったその方の神聖さに初めからフォーカスし、
その神聖さを信じ、働きかけ、導き続けていてくださっていたんだ
そう思いました。

***

目の前の人が話すこと、行うこと、
つい、表面的なことに気を取られ、
感情を揺さぶられたりしがちになるけれど、
いつもその人の神聖さにフォーカスし、自分の神聖な部分から神聖さに語りかける。
目の前のことを自分の中心でとらえ中心で与えていく
神聖な自分で生きていくと、
良い人も悪い人も、良いことも悪いことも無くなっていく
見える世界が変わってくる
選ぶものが変わってくる
すべてがうまくいくことを自然に選んでいけるようになる
そんなことを教えていただきました。

少しでも長く、中心から外れないでいられるよう
あらゆる時、あらゆる出来事を成長の糧にしていきます。


きんとうん