その目線の先にあるもの

子供の頃、好き嫌いの激しかった私。
母は私の口に無理矢理食べ物を押し込み、口をふさいで上を向かせ、
なんとか飲み込ませようとしたとか(*_*)

今なら虐待と通報されそうですが(^^;
体が小さく弱かった私を
なんとしても育てようという親心。
その愛は、頑固な私との根比べの末、
ついに母に軍配があがりました。

***

私たちを指導してくださる師匠も、同じよう。
時には飴を
時には鞭を(本物!?)(笑)
与えながら
やだー!
やりたくなーい!
と、言うこと聞かない弟子達を
なんとか成長させよう
なんとかうまくいかせよう
と手を変え品を変え、その時必要なものを与えて続けてくださいます。


そんな親心は無償の愛。
まさに神様の愛そのもの。

「勧めたけど食べなかったから…」
「食べた方が良いんじゃないかなあと思ったけど嫌そうだったから…」
そんな呑気なことを言っていては子供は餓死してしまいます。

成長を願い、ただそのための選択をし続けることができる無償の愛には
相手にどう思われるかなんて気にする余地はありません。


でも、いざ同じようにしようと思うと、それには相当の覚悟と意志力が必要に感じます。

師匠や神様がそこまでして無償の愛を注いでくださるのはなんでだろう?

それはきっと
私たちのことを、大切にと思ってくださっているから。
かけがえのない存在だと認めてくださっているから。
どんなに出来が悪くても、
その目線の先に、必ず輝く未来を見出してくれているから。


自分が目の前の人を助けたい!と本気で思えないとき、
ちょっと離れたところから自分を見てみると、
その人に価値を感じていない
その人の輝く未来に目を背け、悪いところばっかりに目が行っている。
そして、そういうときは
自分のことも、尊い存在だち思えなくなっている。

人でもものでも、
悪いところに目を向けたらきりがないけれど、
でも、その存在には必ず輝く未来がある。

親や師匠や神様が
自分の輝く未来を見出してくれたように
自分の、目の前の存在の神聖さに目を向け
輝く未来を創造し、
その未来に自分を与えられるようになっていきたいと思います。


きんとうん