手放す勇氣

道を歩む事とは、成長し変化していく、という事です。それは、スピリチュアルな道にも、あらゆる、道、と名がつくものにも共通しているものです。

自分自身を細かく観察し、嫌な部分と向き合うのは勇氣がいることです。間違っているのは自分なのだと認めて、変えていく。ある時、ふと、勇氣をもらえる言葉が目に入りました。

飛び込むことを恐れるな。何もしないのはもっと恐い。失えば、得られるものがある。

失う恐怖は、その時その時で様々に現れてくるものだと思いますが、進むために変化していくには、手放すべきものと対峙が必要になります。それは時に人だったり、物や環境、仕事や、自分自身の感情、思い込み、信念など様々です。

手放す時は、それがなくなると自分自身がなくなるような恐怖や失望感に捕らわれ、それがなくなると、もう、手に入らない。幸せではなくなってしまう。そんな思いが湧いてくる事もありますが、神様が手放しなさい、と言われているものは、手放すと、与えてもらえる、得られるものが見つかります。

手放せば、得られる。

それは、手放すことへの恩恵であり、幸せになることへの、あらゆる物事の本質なのかもしれません。
そしてそれは、神様が私達を愛してくださっている、という本質なのではとも思います。

もうじき、春に向かうこの季節。古い自分を手放して、新しい自分を得るために、精進したいと思います。

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