稽古をしていると、
よく耳にすることがあります。
できてる?
とか
できない
とか
できた
とか
多分、
できた、できないという
その感覚で稽古をすると、
とても辛くなると思います(・・;)
そもそも宗家がいつもおっしゃる通り、
愛手は技術ではないので型があるわけでもマニュアルがあるわけでもありません。
とてもシンプルで、
宇宙の理をただ体現していくというものだと思うのです。
そこにあるのは技術ではなく原理。
だから方向性だけは間違えてはいけないけれど、
できた、できないということではなく、
深さだったり、鮮やかさだったりということだと思うのです。
自分の中にできるかできないかの二択しかないと、
そりゃすんなりいかないと面白くなくなるし、
逆にあれもこれもすんなりできたと言うなら、
もはや稽古をする意味がなくなってしまいます。
愛手の醍醐味は、
その原理を色んなアイデアで色んな形に変化させ、
それを外側へと顕していくことにあるんだと思います。
それらが
よりスピーディーに、
より美しく、
より鮮やかに、
なっていくことが上達だと思うし、
そこに楽しさがある。
なので私は仲間と組んで稽古をするときも、
相手のことも自分のことも、
できてるかどうかはまったく意識しません。
方向性が違っていないかどうか、
そこを大切にしています。
それがわかると愛手の稽古がとても楽しいものになります(*^^*)
みかん