真似し続ける

今、日本ではもちろんですが、世界中に日本の、禅、が有名になり重宝されてきれいるそうです。

 
以前も、禅、についてはかなり調べた時期がありましたが、あらためてまた、文献や資料などを確認させてもらいました。
 
禅問答のように、問答によって、深い悟りに導かれるという学びの他、禅を主とした、禅師、老師達は、日常の生活そのものが、禅の修行そのものである、と、されているようです。
 
有名なお寺では、今でもその修行方法を開祖から数百年以上も続けているそうです。修行は、朝起床してから、食事の作法、トイレに行く時も、掃除の作務も、座禅、夜寝る瞬間まで、全てにおいて規定、細かな決まりがあり、気を抜くような暇は皆無のようです。そこでは、日常の話をすることも、音をたてることさえも、厳しく律してある生活のようでした。
 
一般の人の理解としては、禅問答や、禅の言葉は有名ですが、僧侶の日常生活そのものが、修行、悟りそのものに通じる、という考え自体はあまり知られていないようです。
 
一般の中には、、禅問答、ある人が禅師に対して、「悩みがあります」と言うと、禅師は、
「悩み、とは?」「悩み?え、心がもやもやすること、でしょうか。」などの、問答のやりことりをする、と理解しているようです。
 
確かに、といった感はありますが、日常生活そのものに、神が宿り、悟りに向かう。例えば、歩けばそれも禅、(歩禅)であり、修行である。学ぶとは、まねるからきている。
一日、師のそれをまねれば一日のまね、二日まねれば二日のまね、一生まね続ければ、それが生き方、との教えもあるようです。
 
人生とは、生涯の修行そのものですが、これには、なるほど、と本当に思わせてもらいました。
 
そうありたいと願い、学び、まね続け、それが当たり前に、呼吸するように自然になった時には、悟る、というのかもしれないと思いました。
 
 
自分自身の心や内面と向き合うと、必ず、揺れる、迷う、という事はあります。何かを乗り越える時は、こうありたいと願い、それを叶えるために実践し続けた時に結果がついてきます。
 
短期的な事だけではなく、生涯に渡って道を歩み続ける人とは、生涯真似し続ける、それを実行し続けていくことかもしれません。
 
 
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