自由な心

仏様は慈悲深く、愛をもって人を導く存在です。興味深いことに、その姿の像もさまざまで、悟りを開き宇宙の真理を得たといわれる存在でもあり、人々と共にあり、身近に救い続ける存在でもあり、見かけは怖い顔をしているという存在まで。

 
子供の頃は、その怖い顔の仏様が怖く感じ、なぜ、あんなに怖い顔をしているのですか?
と、お坊さんに聞いた事もありました。
 
お坊さんは、こわく見える仏様は地獄の底へも行って、人を救うために怖い顔をしているのです。地獄の人達も救おうとする、最も優しい仏様なのだと、教えて下さいました。
 
子供心に、それ以上の愛はないのでは、とも感じました。
 
 
それから、物事の表面だけでなく、本質はどうなのか、という事を少しずつ意識するようになりました。
 
それは、目に見えるようで見えない、けれども、人の原動力にもなっている、心の在り方そのもののようにも思います。
 
 
この世で最高の導く、リーダーは、誰しもに慈悲や救いを発揮するための手段として、厳しく、こわく見える部分ももちあわせている、とも思います。
 
 
人は内に神を宿す存在でもありますが、あらゆる生物の中で、人のみが、天から地へと、心を移動できる自由度のある存在でもある、と聞いた事があります。
 
それが、何かの物事にひっばられておきるのではなく、自由にコントロールできるようになった時に、悟りの心に近くなっているのでは、とも思います。