結果をだす

何かを成し遂げる時、結果をだそうと頑張る時、人は努力をします。

 ところが、その努力も方向性があっていなければ、結果を出す事はできません。
 数学のテストなら、まずは、計算方法を覚えて、公式を覚えて、基礎力をつけ、それから応用問題に挑みます。それを積み重ねていると、いつのまか難しい問題といわれているものでも、こうすると、と解けるのではないかと閃きが生まれたりもします。
 
そこまでいってしまうと、応用して問題を解いていく事が面白く感じるようになり、努力はしていても、それは我慢や苦痛を伴うものでなく、追求する楽しみになってきます。
 
時には、天啓や恩恵を受けて、努力などほぼしなくてもゴールとしていたものに、辿りつくというミラクルもおきます。
 
 けれども、一回のみのミラクルではなく、それをおこし続ける人は、やはり、どこかで自分自身をコントロールし、必ず何らかの努力をしている、とも思います。
 
 人は面白い事に、意思を持って努力し続けている事が、いつのまにか大変だという思いから解放され、自然とこなしてしまえるようにもなります。
 
私自身も、学生時代、テスト前に勉強する時、まずは、意思力を持って毎日、これをやる、これは覚える、と決めて、最初はとても苦労しますが、それが馴染んでくると、没頭して、学ぶことや覚える事が楽しく感じる事がありました。
 
そういう時は、最初、遠いと思っていたものが近くなり、結果もついてきますが、そこまでいかず、意志力と努力感のみがある時に、大きなテストがあると、よいと思われる結果はそれほどだせていませんでした。
 
努力して、結果がついてくる、とは、大変だとばかり思っていた状況から、いつのまにか、それが当たり前で、面白く感じるようになる、そんな状態に心や体が変化して結果もよいものとなっているという事では、と思います。
 
チャレンジしてそれを超えていく、という事の凄みも、そこにあるのでは、とも思います。
 
 
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