あおさはカナヅチでした。
漁師の孫が泳げないとは何事かっ!!
と、怒鳴られたからと言って
そりゃそうですね、はいわかりました
と泳げるようになるものでもなく。
足がつかない、うわっ沈むよ~
顔に水がピチャッとつくと
ヒィ~ッ、たたたすけて~と。
手足をバタつかせていました。
ですが、決めて進んだ先で
泳ぐことが求められました。
泳げなくたって生きていかれる人も
沢山いるかもしれない。
でも、成長を志向して目の前にあらわれたこと、
他に選択肢はありません。
そしてありがたいことに
ちゃんとあおさが一番楽に
泳げるようになる方法が用意されていました。
学生時代、
安全靴(爪先に鉄の板が入っている靴)をはいたまま、ロープで同級生や先輩と連結され長袖長ズボンで着衣水泳。
一人だったら
多分ジタバタバチャバチャしてパニックになっていたことでしょう。
繋がれている周りの人たちは、とくに先輩は、
笑っていて落ち着いていました。
たった一本のロープでも、
そんな人たちと繋がっているだけで
自分に冷静さが戻ってきます。
そんなに騒ぐような事じゃないのかも。
楽しいことなのかも?
先輩と同じようにして入っていくと力が抜けて、
爪先の重みが
かえって体が浮力で浮くことを鮮明に感じさせてくれました。
なんか、氣持ちいい…。
一年後、あおさも後輩と繋がれて再び海へ。
溺れてしがみつかれたのか、悪ふざけでしがみつかれたのか、よく覚えていませんが、首にしがみつかれて沈められても全身ガチガチになることは、もうありませんでした。
実人生でロープで誰かと連結されることはまずないですが、
もし 、私たちが目にみえない何かで繋がっているとしたらどうでしょう?
怖いっ!と自分がギュ~ッと縮んだ時、
つながっている人はどうなるでしょう?
やさぐれて、どうせ私なんか
ってドロップアウトしたら?
周りばかり氣にして動けないでいたとしたら?
つながっている人はどうなるでしょう?
繋がりのなかで上手くいっている人に目を向け委ねたり、真似をして自分もそんな風になることを選んで変えていくのと比べると
どうでしょう?
まずは自分自身がどっちが楽しいか?
ワクワクするか?
相手のことは放っておいて感じてみます。
成長する方が楽しそう、
出来ること増えそう。
もし、そっちを選んだなら
目にみえない繋がりは、
自分を成長させてくれる
大切なものになっていきます。