意思を持つ

人の心のありようは、その人の生き方を決めていきます。強い思いは信念となり生き様となってその人の人生を彩っていきます。


人には、喜怒哀楽の感情があり、誰もが自分の中に神聖なハイヤーセルフと同じものを宿しながら、相反するエゴの思いも抱えています。
エゴの思い込み、マイナスの感情全ても人は内包していて、自分の心次第で、どちら側になるのか、行動も言葉も選択する事ができます。


日常生活においても、仕事でも、どんな思いで生きるのか、そこから物事ははじまります。何も思い描かずに生きていると、かなしい事に、人はエゴの損得に流されてしまい、ただ日々を流されながら日常を過ごしてしまいます。


どこまでも神聖な心にそって成長していきたいと望むと、その分、目の前にその気持ちがゆらぐような、様々な出来事がおきたりします。
順調だと思っていた仕事の人間関係が荒れたり、上司や同僚の言葉が気になったり、家族や自分自身の体調が悪くなってしまったり。

そんな時、何を大切にしているのか、何を大切にしようとしているのか、問われています。エゴを乗り越えるには、そこと向き合う勇氣が必要になります。

自分自身を振り返ると、自分の内側から乗り越えようと物事に取り組み続けた時と、流された状況から反応して取り組んだ時とでは、結果も、自分自身が得られるものも変わってきます。

当たり前ですが、本氣で乗り越えるために取り組んだ時は、学ぶことは多く、自分自身の経験はもちろん、周りの反応も学びとなりそれを自然と受け入れることができます。
 
状況は様々ですが、長く疑問に思っていた事や、答えを探していたことなどが、すっとわかったり、答えがふとうかんだりすることもあります。
 
内側にある神聖な心に繋がろうとする最初の一歩は、望み、祈り、その意思を持つことです。
 
 
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