厳しさの中の優しさ

自分がまだ子供だった頃、指導者、というと、学校や塾、習い事の先生のことで、社会人になってからは、自分の先輩だったり、上司だったりしました。

 
尊敬できる指導者に共通していると思うのは、厳しさの中の優しさです。例えば、仕事であれば、手を抜いたりすることもなく、自分自身の管理をしっかりしているような人がほとんどです。そのため、もちろん他人に対しても一定のレベルのものを求めていて、厳しいととられがちですが、従業員や生徒が本当に困っている時、どうしてよいかわからないなどの時、手を差し伸べてくれたり、必要なアドバイスを行ってくださったりします。
 
 
それは、思えば、相手に同調するような優しさではなく、導くような方向性のある行動や言葉でした。
 
 
私自身も、今現在、仕事で、クライアントさんや同僚、年下の新人、様々なところで導かなければいけない場面が度々あります。
 
そんな時、ふと、自分が指導されたことやその言葉も思いだします。
 
そして、まだ仕事を覚えたてのかけだしの頃、いかに自分が肩肘はって、強くみせようとしていたかも、同時に思い出すと、そんなに強がらなくても、人の目をこわがらなくてよかったな、とも思えてきます。
 
 
強がって、我力で挑むよりも、むだな力は抜いて、自然体でいた方が、あらゆる分野で活躍しやすく、コミュニケーションでも、人とぶつかることなく、でも、意思や意見を通せてしまう強さも発揮することができます。また、周りに対する感度をあげることができるので大切なことの本質も見えやすくなります。
 
 
導くものに最も大切なのは、相手にたいする方向性を教えてあげること、とも思います。
 
そして、方向性を伝えられるにあたり、自分や相手の状況やその時々で、伝え方やどんな雰囲気で、どんなタイミングで伝えるのかも変わります。それは、指導する人が自分自身をどの程度分析し、磨いてきたかにもよります。
 
厳しさの中にある優しさは、それを磨き続けた人の中に宿る魅力であり、生涯磨き続けることのできる魅力なのでは、とも思います。
 
磨き続けること、向上し続けること、それは生涯をかけて成長し続けることのできる、厳しさと、楽しみがあります。
 
 
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