努力の桁

キャッチコピーや広告を作るクリエーター。

彼らは、見習い時代に、1週間に100個もの広告を作るという、ハードな課題をこなしているそうです。

 

100枚のスケッチブックのすべてのページにアイディアを書き、提出しないといけないそうですが、

 

私なんか、ひとつ広告を作るのでも、2、3週間かかってアップアップするのに、

100個とは・・・、想像を絶すものがあります(>_>)

 

 

おそらく誰もが聞き覚えのあるキャッチコピーを生み、

キ○チョーや、○印などの有名なCMを多数作り出した、伝説的カリスマクリエーターがいます。

彼は、ひとつのアイディアを出すのに、100個どころか、その何倍もの案を紙が真っ黒になるまで書き出し、最終的にその中の一つを選ぶそうです。

 

!(◎_◎;)

 

努力の桁が違います。

 

 

 

我が師匠。

喜柔生流武道愛手の、その技は、なんとも芸術的で美しく、またその動きは緻密で無駄なものが一切ない。ダイナミックでもありスタティックでもある。

 

そこに至るまでの足跡は、私たちの想像を絶するものだと思います。

その一歩、その一手を出すに至るまで、どれだけのことをされてきたのか・・・

 

まさに、桁違い。

 

 

でも、

自分もそこに行きたい!そう思ったのですから、

その足跡を辿るしかないっ!

 

自分は100やっても出来なかったら、それ以上すればいい。

憧れの力が、努力を努力じゃなくするのだと思います。

 

\\\\٩( 'ω' )و ////

 

注)もちろん稽古は、数やればいいというものではありませんが

 

 

みどりん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

止められないを止める方法

文句を止められない、
怒るのを止められない、
など、
~を止められない

という話しを耳にしました。

まず、
私の耳に入ってくるということは、
私自身がそうであるということです。

なので、
私が止めようと思いながらズルズルと止めていないことを具体的に書き出し、
止めました。


では、
次はどうやってそれを止めるかです。


一番最初にすることは、
深く固い決意です。

決めないことにははじまりません。

決めたら今度は、
それを好んでいる自分との決別です。

止められないのはそれが好きだから。

だからそれを好んでいる自分と一体化しないこと。


止めたいけど止められないということは、
止めたい自分と止めたくない自分が自分の中にいるということです。


止めたくない自分を生きるのではなく、
止めたい自分を常に生きると決めるわけです。


決めたら、
何も考えず放っておくと、また止めたくない自分を生きはじめます。

人は自分の好きなことをしたい生き物なので(笑っ)


だから、
止めたい自分を生きつづける為のことをします。


私の場合は、
稽古やセミナーで教えていただいたことや、
他にも、止めたい自分を生きつづける為にこういうこともしてみたらいいかなぁ、と思ったことを手を変え品を変えやります。

そのやったこと事態が重要というより、
止めたくないより止めることに意識をフォーカスし続けるということに意味があるのです。


そんなことをやっていると止める自分を生きるようになってきます。

 

ですが、

そこで終わりではありません。

 

今のままだと結局まだ、

止めたい自分と止めたくない自分が共存しているから。

 

止めたい自分を生きられるようになったら、

止めたくない、それを好んでいる自分を、

止めたい自分、成長したい、上手くいかせたい自分に統合していく必要があります。

 

そこで癒し人養成講座のstage3を行うことで統合され、

一つ癒しが進みます^^

 


みかん

 

 

 

毎日を真剣に生きるた

幼少の頃から、ずーっと野球をやってきました。

高校の時は、真剣に甲子園を目指してやっていました。

当時は、

朝は、早く行って朝練、

放課後、全体練習をして、

その後も、毎日自主トレーニングもしていました。

その時は、全力で毎日やっていたと思っていました。

 

高校での野球が終わって しばらくして

ふっと、今までやってきたことを思い返した時が何度もありました。

「俺、もっとやれたんじゃないかな、

あの練習は、もっと工夫すれば違った結果になったんじゃないかなー、

あの時、こうすればよかったなー」

俺は、すべてを出し切ったのかなー?

 

もっと身長が高ければ、

あいつが大会前に怪我をしなければ、

なんであいつが試合に出れて 俺は控えなんだとか、

諦めていたこともあったなー

いろいろな思いが入り乱れて

なんだか悔しい思いと後悔の気持ちが湧いてきたのを思い出します。

 

今、この年になってこれまでの自分を振り返ってみると

高校の時よりもやり切った?

100%出し切ったと思えることがないことに気が付きます。

人のせいにして、

世の中のせいにして、

会社のせいにして、

ずーっとこんな感じで、

時の流れに身をまかせて、生きてきたこともたくさんあるなーと思います。

 

きゆるぎと出会い、

今までの自分では、知り合うことがない、師匠と仲間たちとご縁で結ばれ、

いろいろなありえない体験、経験をさせていただきました。

15年前の自分とは大違いです。

 

これからの60年の毎日を

全力で、その時できることを真剣に、

感謝の気持ちを持って、

過ごしていければ

これからの人生は、

希望に満ちたものになると思います。

これから自分の人生第二章の幕開けです。

言い訳をしたくなったら

誰かに何かを言われた!

裁かれた!と感じて

 

『◯◯さんに頼まれてやりましたー』

 

 

『私は間違ってませーん』などと

言い訳をしたくなって

 

 

自分の正しさを主張したくなった時は

自分がどこと繋がっているのかを

見直しましょう!

 

 

 

現実は自分が創造しているという視点から

出来事を観る癖をつけて

 

 

 

自分の間違いを認めて改めていくと

人とぶつかることがなくなって

楽になっていきます( ´ ▽ ` )

意識と体

私達は、全員、魂を宿してその肉体とともに生きています。

人は、神聖さを世に現すために、天地を繋ぐ存在として生まれてくるのだと、道を知った時に教えていただきました。


それを現すためには、私達のこの肉体も磨いて、練っていき、意志の力、腹の力を鍛える必要もあります。
今、私達の住むこの次元は、肉体、という現実とともに生きる世界。そこで、よりよいものを現していくには、肉体、現実を通して、よりよく変えていく必要があります。
逆に言うと、どんなによいことを考えて、思っていたとしても、現実を通して行動しなければ、周りに伝えるのは難しく、よりよく変えていくことはできません。


現実を変える、肉体を変える。それは、周りや環境のせいにしたりせずに、自分自身の責任であるという、原点からの力の源です。


また、体を変えるためにトレーニングしていく時、意識と体を別々に切り離していると、外側の肉体は強くなりますが、内側の意識と連動して何かをなしたい時に、余分な力が入って、本質を感じる力が鈍ってしまうことにもなります。


私自身、初学の頃は、意識を研ぎ澄ませるのと、動きを連動させたり、自由に使うことは別のものである、と考えていました。今では、それが間違いで、意識と体の状態はリンクしているのだと、学びを深める度に実感するようになりました。


本質を感じる、現す力がなければ、どうしてもできない意識の流れ、境地があり、武道でいうと、それが備わらないとできない動きがあります。


人生を幸せにしていくのに、知識だけ、体力だけでは片手落ちです。目標を定めたら、それを叶えるために、学び、行動する。当たり前のことのようで、意識していなければ、いつのまにか、どちらかに偏ってしまうこともあります。

意識と体、どちらも大切にして努力していくと、自分自身のできることが、為せることが拡大していきます。


              eye


全力を出す

子供の頃って、猛ダッシュしてませんでした?

 

遊びの中だったり、犬に追いかけられたり…

 

息が上がるのも、汗だくになるのも、お構いなしに全力疾走してた。

 

学校に上がると、徒競走やボールを追いかけたりして、

口の中がなんだか鉄の味がするくらい、一心不乱に走ってた。

 

 

いつからか、そんな猛ダッシュもしなくなった・・・

 

 

『全力を出さない癖をつけると、全力が出せなくなってくる』

というお話を聞いた。

 

確かにそう。

自分の持ってる全ての力を出さずに、どこかセーブして、

なんとなくその場をやり過ごすやり方をしていると、

“全身全霊”というやり方がわからなくなてきちゃう。

 

 

全力でやりきってやりきってやりきるからこそ、

自分の枠が広がってくる。ワンランク上に上がれる。

 

 

「うへぇ〜、口の中なんか鉄っぽい味がする〜」ってくらい全力を出すってのも、悪くないかも

 

 

みどりん