20代の頃、
パートナーと繋いだ手に
流れ込んでくる愛情がなくなったことに気がついて
フラれるのが怖くて先に「サヨナラ」を言ったことがありました。
先手をうてば傷つかない!
そう思っていたのに、とことん落ち込み・・・。
心変わりしたパートナーを「何でよー!」と、
とことん非難し、
続いて、自分のとった行動の数々をとことん後悔し
そうして
「何でそうなったか?」心のなかでとことん追っていったあるとき、
ふと、カタチにこだわらず、ただ愛すればいいことに氣がつき
望むカタチの愛され方へのこだわりも
お互いへの裁きも消えて
これからでも伝えそびれていたことは、
ただ伝えればいいことに氣がつきました。
ふと氣づかせていただけたこと、
そして氣づきで変わった日々の選択で
出会うものが変わっていったことに
今思い出しても、不思議な優しさに包まれます。
心がマイナスな方向に振り切れそうな時
何で?をとことん
(出来れば喜怒哀楽に飲み込まれず、客観的に^^;)
最後まで取り組むと
トンネルの先は明るい日差し?輝く虹?
救いの手はやってきます☆彡
あおさ