世界を豊かにする

夜は視界が悪くなるからか

他の感覚器官が澄んできます。

 

遠くから梅の香り

鼻をたよりに花の元へ。

五感が世界を豊かにしてくれることを

実感しました。

風の音、

日のあたたかさ

早春の香り

毎日いただく恵みの味…

 

沢山感じていると、

悩んでいたアレコレが小さなことのように

思えてきて、氣にならなくなったり

こうしたらいいんじゃないかな!と

イデアがわいてきます。

 

五感で取り巻く世界に

感謝して繋がって

今を幸せに生きます。

 

責任の大きさ

愛用のリュック。
だんだんと縫い目がほつれてきました。

あー買い替えなきゃ、そう思いつつ、
忙しさを理由に、なかなか買いに行っていませんでした。

そんなある日。
後輩から
「買ってきましょうか?」
と。。。💦

後輩にそんなことを言わせちゃいけない!
焦って買いに行きました。

 

自分のことを後回しにしがちなのですが、
自分のことだから適当でもいい、
というのは、
自分さえよければいい
というのと、
結局のところ同じなんだ、
そんな身勝手な意図は、
誰かや何かを幸せにするのとは真逆のことだ、
と改めて教えて頂きました。

自分も、相手も、周りも、
全部同じように大切に。
それが、責任の範疇を広げていく、ということなのだと思いました。

 

きんとうん

心にふと浮かぶこと

誰かに雇ってもらうことばかり

考えてきたのに、

ふと自分で仕事を創っていく

イメージが湧きました。

 

これは、いただきもの

大切にしたい

そう思いました。

 

打ち消したり、捨てたり

してきたけれど

パートナーと

楽しく成長していこうと約束したので

やってきたイメージを大切にして、

日々それに向けて。

 

たばこの吸い殻から

道を歩いていて、たばこの吸い殻が落ちているのを見つけました。
最近、あまり意識に上ることが無かったのですが、
一度氣になりだすと、次から次へと見つけてしまい、さらに氣になります。
最近減ったと思っていたけど、

意外と落ちているものなんだなー

 

そうしているうちに、
昔のことを思い出しました。


今でこそ、禁煙化が進み、街中でもたばこに悩まされることが少なくなりましたが、
以前は、たばこがとても苦手で、
たばこはもちろん、たばこを吸うに人も、嫌悪していたことがありました。

その頃は、
たばこの吸い殻が落ちているのを見つけようものなら、
怒り狂っていました。

しかし、今思うと、
たばこそのものに対する怒り、ということだけではなく、
何かに怒りたい、
だから、
怒れるものを探していた
その対象として、たばこは自分の正義を主張できる(堂々と怒れる)
ちょうど良いものだったのだと思います。

潜在的に自分の中にある怒りの源は、
自分の罪悪感を、誰かや何かのせいにして、紛らわしたい、
そのようなものでした。
しかし、その罪悪感の源が癒されてくると、
誰かや何かのせいにする必要がなくなり、
怒ることも減ってきました。

そして、氣がつくと、
たばこの吸い殻にも、過剰な反応をすることが無くなり、
目にする機会も減っていきました。


自分が出会うものは、自分の望みが叶った結果。
そうやって、氣付いていなかった自分の奥深くにある望みを教えてもらっています。

 

きんとうん