道を歩いていて、たばこの吸い殻が落ちているのを見つけました。
最近、あまり意識に上ることが無かったのですが、
一度氣になりだすと、次から次へと見つけてしまい、さらに氣になります。
最近減ったと思っていたけど、
意外と落ちているものなんだなー
そうしているうちに、
昔のことを思い出しました。
今でこそ、禁煙化が進み、街中でもたばこに悩まされることが少なくなりましたが、
以前は、たばこがとても苦手で、
たばこはもちろん、たばこを吸うに人も、嫌悪していたことがありました。
その頃は、
たばこの吸い殻が落ちているのを見つけようものなら、
怒り狂っていました。
しかし、今思うと、
たばこそのものに対する怒り、ということだけではなく、
何かに怒りたい、
だから、
怒れるものを探していた
その対象として、たばこは自分の正義を主張できる(堂々と怒れる)
ちょうど良いものだったのだと思います。
潜在的に自分の中にある怒りの源は、
自分の罪悪感を、誰かや何かのせいにして、紛らわしたい、
そのようなものでした。
しかし、その罪悪感の源が癒されてくると、
誰かや何かのせいにする必要がなくなり、
怒ることも減ってきました。
そして、氣がつくと、
たばこの吸い殻にも、過剰な反応をすることが無くなり、
目にする機会も減っていきました。
自分が出会うものは、自分の望みが叶った結果。
そうやって、氣付いていなかった自分の奥深くにある望みを教えてもらっています。
きんとうん