ダブルKen


のん気にDVD見てるこの人。
数日前死にかけてた人。

2月ごろから体調不安定のうちのKenchan。

ついに?数日前の夜中救急車さんにお世話になりました。

まだ検査を重ねている段階だったため原因も特定出来てない中の激痛。

病院につくも人手もなくできることも限られる中担当の先生の到着まで隅のベットでただ痛みに耐えるのみで、

痛み止めも全く効かずどんどん増して行く激痛。

下手な瞑想するよりも、
来ぬ人を待つよりも
夜明けを待った時間は長かった。

そんな長い夜の中、
良い経験値をつんだ。


「どれほど大切な人だとしても何もしてやれない。」

ということ。

もちろん救急車を呼ぶことも、横にいる事はできても、
彼の望みは痛みを無くす事。
どれほど優しい言葉をかけても、
身体をさすっても痛みと真っ向に戦う彼には全く効かずむしろ私の優しさは迷惑になる。

日本人なら一度は思うでしょう。
「その痛み代わってあげたい。」
と。

しかし、いくら思っても願っても
半分っこすることも、1ミリすらその痛みなんてわからない。

痛いのは彼。
私ではない。

これは彼自身が乗り越えないといけないんだ。
だから私には何もできない。

と、
不意に落ちた瞬間、
お腹がなって、そして眠くなった。

私の身体はこんなときでもエネルギーを欲し休養が必要と言ってくる。
手先が少し冷えていたのでこすったらすぐ暖かくなった。

しかし彼の足先は何度暖めてもすぐ冷えるんだ。

人は、相手をどうしても変えたくなり、
自分は変えられないと思ってしまいがちだが

自分だから乗り越えられる。

誰かに変えてもらえることでもなく、私だけの意志で誰かを変えることもできない。

ようやく

よく、宗家が
「人は変えられないよ」
と言っていた意味を頭でなくわかり始めてきたようです。

しかし、
お手伝いならできるみたいです。

自分自身を生きることと。
誰かのお手伝いをして行くこと。

それができること。

そう思ったらとても氣が楽になった。

そして今日のDVD。
見ているのは
許されざる者
という渡辺謙主演の映画。
何度罪を重ね、自分の命がどれだけ危なくなっても助かり生かされる主人公。の話。

( ̄▽ ̄)

うちのKenも頑張れ〜☆!

あ、そうそう、
あかべー小さい頃から救急車、慌てず焦らずきちんと呼べたら一人前!大人になれるんだ!って思ってたんだ( ̄▽ ̄)

ちゃんと呼べたよー。
「お前は?お年は?」
って聞かれても自分の名前、年言ったりしなかったよ〜(笑)

そしていつもはお似合いと言われてはいても今回はどこへ行っても親子と間違われたねKenchan( ^ω^ )


一人前あかべー