大切にさせてくれてありがとう

「人は自分が大切にしてこなかったもので困るようになってるんだよ。」
宗家がよくそう教えてくださいます。

「困って、あーそうだ、感謝を忘れてたなって思いだす。
思い出して感謝すると、それがまた蘇ってくる」

そういえば、私きんとうん、食べるものに困ったことがありません(^^;
それも、宗家に言われるまで気が付かなかったほど。
どちらかというと、常に周りに食べ物があふれております(*^^*)

今月きびしー!節約〜って思ってると、
偶然いただきものがあったり、
ご馳走してくれる人がそばにいたり、
お金に困ってるって周りの人にわざわざ知らせなくても(笑)、自然と食べ物が集まってくる(爆)

でもなんでだろ?
前にも書いた通り、
何を隠そう、激しい偏食、好き嫌いどころか
「なんだったらたべられるの?」
と聞かれるほど、食べること自体が苦痛だった、とても食を大切にしてきたとは思えないきんとうん。

そこで、思い返してみました。

幼いころ
絶対に好き嫌いを許さなかった母は、
ご飯を食べきるまでは、何時間粘っても、絶対にぜ〜ったいに大好物のいちごを食べさせてくれなかった。
私もかなり根気強いと思うけど、母の根気強さは尋常じゃない!
少しでもいいから絶対に残さずたべなさいって。

幼稚園
どんなお弁当を作っても残す私に、ぜったいに食べきれるよう、
母はどんどん小さいお弁当箱さがして、ミニチュア弁当(@@)を作ってくれてた。

それ以外にも、自分で欲しいって言ったのに残したり、
食事の時間に「いらな〜い」っていったのに、後でお腹すいた〜っていったり
っていうのをすごく怒られた。
今から思うと、食べ物そのものももちろん、食の大切さも教えてくれた。

小学校
苦手な牛乳が一人一瓶(>_<)
とても飲めなかったけど、こっそり自分の分も飲んでくれる友達がいた。

「パンは持って帰っていいから、おかずだけは残さず食べなさい」
って、パンを包んで持たせてくれる先生がいた。

時間内に食べきれなくても、掃除時間使ってでも食べさせてくれて、片付けを待ってくれてた。

「全員給食完食するのが一番遅かった班が掃除当番〜!」なんていう、まるで拷問のようなルールのおかげで、
同じ班のクラスメートが、みんなが私が食べきれるよう、応援してくれた。

思い起こせばきりがないほど、
みんな食べ物無駄にさせないよう教えてくれて、協力してくれていた。
食の大切さを教えてくれていた。
そのときは“拷問”としか思えなかったような“ひどい仕打ち”(笑)も、
本当に私のために必要なこと、教えてくれていた。

だから、ほっといたら、ひどい偏食で、食べ物平気で残して、無駄にして、
ありがとうどころか、ごめんなさいとも思わなかっただろう私が、
自分で大切にしようと思わなくても、自然と食を大切にしていた。
それがしみついていて、
いつのまにか食の大切さを人に伝えるほどになっていた。

決して自分の意識や努力じゃない。
本当にたくさんのたくさんの人のおかげで、
結果的に食を大切にしてこられた。
こんなありがたいことはない。
改めて思い返してみて、ほんとーに恵まれていた。ほんとーにありがたい。

そんな多くの人のおかげを無駄にしないよう、
これからも、食、もっともっと大切にしよう(^0^)/
無駄にしない。残さずいただく。美味しくいただく。楽しくいただく。

失う前に気付けて良かった(*^^*)
大切にさせてくれてありがとう!
いつも美味しく食べられる幸せをありがとう(^0^)/


きんとうん