「だって知らなかったからしょうがない。」
「知らなかったんだから仕方ないよね。」
って、
自分が知らなかったことを当然のように言い訳として使ったり、
相手が知らなかったことに対してしゃあないねって言ったり、
普通に生活してるとよくある話し。
そこに違和感を感じる人は少ないと思う。
でも、
神聖さに従って魂の成長を望み人生を創っていくと決めたみかんにとっては、
それが“普通”になってはまずい(≧ω≦)
宗家曰く、
『無知なだけで不徳なんだょ。』
自分が知らなかったことによって、
自分はもちろん、相手や周りの成長の邪魔をしていい理由にはならない。
そりゃそうだっ(>w< )
スピリチュアルに生きると決めている友達が、
本人が知らないことにより不徳を積んでしまってるのを教えてあげないのももちろん不徳。
知らなかったじゃすまないんだ。
言われると、そりゃそうだなってわかるのに、
言われないと氣づけなかったり、
おかしいなって思いながら、相手の機嫌を氣にして言えなかったり。
スピリチュアルに生きると言っていながら、
やってることが違ぁ〜う!!
有言実行してないじゃんっΣ( ̄ロ ̄lll)
まだまだ神聖さとは違うことをしていても、
それが当たり前になってる意識の中で、
そこに流されないでよくよく、自分の意識を見るって、
スパっと通ったセンターなしには難しい。
センターを意識している稽古中ですら、
あっ!抜けた(・・,)
なんてレベルのうちは、
密度濃い時間をどれだけ過ごせているかって、
とっても大事。
稽古もセミナーも少しも無駄にできないし、
取りこぼしも許されない。
色んなもっともらしい理由で稽古やセミナー休みます。って平気で言えちゃうことや、
それを聞いて、そうなんだね。って、
普通に答えるその意識が、
受けとるものを受けとらないとか、
成長したいと言いながら、逆のことをしているってことをわかってるつもりでわかってなかった。
本当に、スピリチュアルに生きたいなら、
そんなつもりはなくても、
結果的に稽古やセミナーを軽んじてるその意識をもっともっと見つめ直していかねばねっ
みかん