ある日の夜のことです。
自分の奥底の記憶を辿ろうと、目を閉じて深い瞑想に入ろうとした時、
カタリ・・・物音が。
え?何?(°°;)
確実に何かが自分のすぐ隣りにいるような感じがしてきてなりません。
心拍数が上がり、頭に血が集中し、
え?!なに?なに?なに?なに?
こわい、こわい、こわい、こわい
そんな思いが私の中を占め、耐えきれずパッと目を開けました。
すると、
そこにはいつもと何も変わらない風景が…( ̄。 ̄;)
。。。。。
神様にすべてをささげます。
と口ではそう言うものの、
いざという時には、これまでのやり方を手放さない。
その日の事で言えば、深く自分の中に入る事への抵抗だととらえず、
“呼吸”という自分を中心に戻すやり方もせず、自分の視覚に頼るというこれまでのやり方で解決しようとしたのです。
勿論、その場から速やかに離れなければいけないのに、目をつむったまま我慢してそこで耐えるという話ではなく。
神様に委ねる
神様は決して不都合を与えないんだという信念があれば、
どんな事も、癒しの機会として受け取る事ができます。
稽古でたくさんのシチュエーションでワークをさせていただけますが、ひとつひとつが自分のやり方を手放し、神様に委ねる癒しの機会です。
委ねる感覚をたどってみると、それはスキーで滑る時の感覚とすごく似てるなと思います。
急斜面の前に立った時、すざましく自分の中が抵抗します。
そのまま癒す事なく、ごり押しで滑っても転ぶかつらいかケガをしてしまいますが、
でも、ごり押しではなく本当に“大丈夫”の心になると、それはそれは気持ちよい感覚に包まれます(^^)
もうすぐ、神域でのセミナーがはじまります。
自分の中をクリアーにしてクリアーにして、
神様の心に触れてこれたらいいなと思います(*^-^*)
みどりん