先週書いた、母の話、その後です。
母は急に耳の聞こえが悪くなり、耳鼻科に行っても全く改善しないので、
宗家の治療を受けることにしました。
治療していただくと、
腰や背中、首の痛みなどはどんどん改善していくのですが、
肝心の耳はなかなか、すっきり改善しません。
どうしてだろう?
もう一度自分の意図を見直してみました。
母を治療に連れてくることで満足して、
本当によくなること、癒されることを望んでいなかったのではないだろうか?
治療にさえ連れてくれば、あとは宗家がなんとかしてくれる
そんな人任せな、無責任な思いはなかっただろうか?
被害者でいつづけることを
自分自身が望んでいないだろうか?
…
いろいろ心当たりがでてきました。
それを一つ一つ望み変えていくと、
いつのまにか、母の耳は聞こえるようになり
次の日病院に行くと、
耳鼻科の先生も驚くほど、症状は改善していました。
そして、母自信も、
今まであきらめていた他の不調も
直したい、元気になりたい、
という意欲も湧いてきたようです。
どんなに素晴らしい指導も治療も
本当に受け取りたい、受け取らせたい、という意図がなければ、
本来の力が発揮されることはありません。
目の前に起こる現実が、これだけわかりやすく自分の意図の違いをおしえてくれていても、
それが受け入れられず、
疑ったり怒ったり無視したり
そんなもったいないことをたくさんしてきました。
今からそれを取り戻すつもりで、一つ一つを本当にありがたい出来事として、
受け取り直していきたいと思います。
きんとうん