意図の違いに気づく その2

先週書いた、母の話、その後です。

母は急に耳の聞こえが悪くなり、耳鼻科に行っても全く改善しないので、
宗家の治療を受けることにしました。

治療していただくと、
腰や背中、首の痛みなどはどんどん改善していくのですが、
肝心の耳はなかなか、すっきり改善しません。

どうしてだろう?

もう一度自分の意図を見直してみました。

母を治療に連れてくることで満足して、
本当によくなること、癒されることを望んでいなかったのではないだろうか?

治療にさえ連れてくれば、あとは宗家がなんとかしてくれる
そんな人任せな、無責任な思いはなかっただろうか?

被害者でいつづけることを
自分自身が望んでいないだろうか?

いろいろ心当たりがでてきました。
それを一つ一つ望み変えていくと、

いつのまにか、母の耳は聞こえるようになり
次の日病院に行くと、
耳鼻科の先生も驚くほど、症状は改善していました。

そして、母自信も、
今まであきらめていた他の不調も
直したい、元気になりたい、
という意欲も湧いてきたようです。


どんなに素晴らしい指導も治療も
本当に受け取りたい、受け取らせたい、という意図がなければ、
本来の力が発揮されることはありません。

目の前に起こる現実が、これだけわかりやすく自分の意図の違いをおしえてくれていても、
それが受け入れられず、
疑ったり怒ったり無視したり
そんなもったいないことをたくさんしてきました。
今からそれを取り戻すつもりで、一つ一つを本当にありがたい出来事として、
受け取り直していきたいと思います。


きんとうん