いつからでも、どんなときからでも

『いつからでも、どんな状態のときからでも愛手ははじめられる。』


今まで、この事をあまり理解していなかったようです。

自分の感情が振れた時、あ〜(ノ_<。)
ってなったり、
何か失敗した〜(∋_∈)
って思った時、

そんな時こそ習ったことを使って自分の中の波を穏やかに静かにする。

感情のまま落ち込んで、だめだ〜、やる気がおきない〜ってズルズル自分のエゴに引きずられていくことを何度も経験してきた。


だけどもじゃあどうやって復活してきたかって思い返してみると、セミナーだったり、宗家や仲間の存在だったり、愛手の稽古そのものだった。


感情が振れてしまうことだってある思う。

ましてやスピリチュアルな生き方をはじめると、そういうことにジャンジャン出会う。

その時に自分が何を選択するのか。

何のための呼吸?
何のためのリラックス??

呼吸で体や感情をコントロールする練習や危機的状況の中でもリラックスする練習をみかんはどれだけやってきた?

結構やってきたょね。


エゴに引きずられてぐるぐるしちゃうって、
まさに稽古のための稽古をやっていたからだ。


何のために何をやっているのか。

それをいつも自分に問いかける。

すると少しずつ稽古やセミナーの時間とそれ以外の時間の差がなくなってくる。

愛手が日常になればなるほど、ぐるぐるのネガティブなループの中にいる時間が短くなるし、そもそもそのループに入らないですむ。


頭で理解してるだけじゃ、肝心な時にちっとも役に立たないってことがよくわかる。



みかん