可愛がられる

これまで、たくさんの先生や師匠、上司に導いていただいてきました。

自分はそういった上の存在に、いつも可愛がっていただいたなー、
ありがたいなー
そう思っていました。

でもよくよくその頃の自分を顧みてみると
良い成績をとること、仕事ができること、技芸がうまいことで
認められよう、
そうやってがんばっていたことに気づきました。

そうでなければ、愛されない、愛されてはいけない
そんな決め事が自分の中にあり、
成績が悪くても、仕事が出来なくても
関係なく無条件に可愛がられ、甘えられる人たちを
素直に羨ましいとすら思えず、
私はそんな風には愛されたくない、
そういう愛し方、愛され方は認めない、と
自分の中の痛みを教え、癒される機会を与えてくれるありがたい存在を裁き、攻撃していました。
そして、自分は愛されなくたって、人を愛することはできる
そう思っていました。

でも、愛されることを自分にすら許していないのに、
人を愛せるわけはありません。

神様は、だれのことも無条件に愛してくださっている。
その神様の愛を素直に受け取って
愛され、可愛がられることが
人生を豊かにしていくこと、創造の力を発揮していくためになくてはならないことだということが
ようやくわかってきました。

そして、自分の間違いを認め、贖い許そうと決めると
それまでどうしても踏み込めず避けてきた一歩を
やっとやっと踏み出すことができました。

上の存在に可愛がられること。
無償の愛を受け取って、無償の愛を与える。
縦にも横にも愛があふれる人生をこれから創っていこうと思います。


きんとうん