ラーメン屋さんに行って「カレーが食べたい!」って注文しても、「うちラーメン屋ですから・・・」と困っちゃいますよね(^_^;
人間関係でも同じ事。
人間関係をよくするコツは、相手が与えられるものを“だけ”を相手に求めるというのがポイント。
そのような話をしていると、“恋愛”のお話になりました。
みどりんの若かりし頃・・・
私は好きな人が出来ると、もうその人にゾッコンで、「その人がいれば、何もいらないわ」的になってしまい、
“恋は盲目”って盲目も盲目、仕事も趣味も抱いていた夢も、なーんにも手につかず、その人に尽くしまくって、他は何も見えなくなっていました(-ω-;)
ですから、例えば自分がカレーが好物だったとしても、相手の人が「ラーメン」と言えば、「ラーメン!いいよね!」なんて言って、ラーメン一色になっちゃうんです。
そこで、宗家が一言。
『そういうの、「尽くしてる」…って言えば聞こえはいいけどさ、
要するにそれって、神様がみどりんのために用意してくれた他の幸せは受け取らないで、拒絶してる状態だよね?
でも、神様がくれるものって成長のために必要なものだから、どっかで受け取らないといけないんだけど、
そうやって拒絶して受け取らなかった幸せは何処に求めるの?
ラーメン屋さんでカレー求めるように、彼には与えられない幸せを彼に求めて苦しめるの?
それとも、あなたのせいで受け取れなかったじゃないって、後から恨むの?
どちらにせよ、それは愛じゃないよね。
そうすると、自分が彼に尽くす“ふり”して、それを大義名分にして、
本当は何がしたかったのかっていう、無意識の本当の意図がわかってくるんだよ。』
たしかに!!!!!((((((゜ロ゜;
みどりん、その部分をちゃんと癒してきただろうか?
神様がこれ受け取ってねって言っているものを、ちゃんと素直に受け取っているかな?
自分の受け取りたいように、勝手にねじまげて受け取っていないかな?
「尽くします!従います!」って言うと従順そうだけど、その奥に「あなたが言ったから!」と責任とりたくないっていう意図が含まれてないかな?
嫌われるのが恐いから、自分を抑圧してないかな?
これじゃない!と拒絶したり、欲しいのは今じゃない!と文句言ったり、私なんか受け取る資格ないとか言って悲劇のヒロインにひたっていないかな?
神様が与えてくれているものを受け取らないで、「あの人にこんなに尽くしても上手くいかないじゃん!」って文句が言いたいから、その現実を引き寄せていないかな?
自分の内面をよーーーーく観て、いつも神様の「これどうぞ^^」を喜んで受け取れるようになりたいと思います(*^^*)
みどりん