気づいたが吉日

2年ぶりに登拝に参加させていただきました。
2年前より、体力も筋力も確実に落ちている
この一年、稽古もほとんど参加してこなかった。
登拝して降りてきたら、起き上がれないくらいへとへとなんじゃないだろうか?
全身筋肉痛なんじゃないだろうか?

自分の力が落ちていることを知っていたからこそ
神様に委ねよう、委ねない限り絶対に登拝出来ない。
そう思うことができました。

そして、登拝中、ずっと、セミナーや稽古で教えていただいたことを
思いつく限り全部使って、
我の力を使わないで、その意識を切らないよう
それだけ考えていました。

登拝しているときは
とっても嬉しくて楽しくて幸せいっぱい
戻って来てみると
ほとんどどっこも痛くない。
筋肉痛も、稽古の方がひどい筋肉痛になることあるよね^^;
っていうくらい、拍子抜けするほど、ほとんどない。

大改革を続けてきた成果!?
なにより、教えていただいたことを実践するだけで、
こころもからだもこんなに変化して、
自分の力では決して為し得ない素晴らしいパフォーマンスがだせるんだ!

そんなことを実感、体感、感動しました。

*****

今まで本当にたくさんのこと教えていただいてきました。
使いきれないほど、たくさんのすばらしいアイテム。
それを今までどれだけつかってきただろう?

知っていること
わかっていること
がたくさんあると、
安心する

でも、
知っていること、わかっていることには何の価値もない。
むしろ
気づいていないよりたちが悪い。


例えば、
ゴミが落ちている
気づかないなら拾わなくても仕方ない
でも、気づいているのに拾わない?

部屋にほこりがたまっている
それに気がついているのに
そのまま放置する?

自分の中のゴミや汚れ、サビに気がついているのに
それをほったらかしにしている
そう考えたら、
そんなバッチイこと、平気でしているの?

でもそういうこと、たくさんしてきたんだ。

*****

人が知らないことを知っていたりすると、
人ってちょっと優越感をもったりする
わかっていることが増えると
なんだか自信が持てたりする
でも
それだけでは安心は生まれない
なぜなら、それは本当の自信じゃないから。
本当の自信じゃないことを魂が知っているから
だから、もっとほしい、もっとほしいって
十分持っているのに際限なく欲しくなる

本当の自信は自分が何をやってきたか
何をできるようになったか
結果を出したことでしか生まれない
本当の自信は本当の安心を生み
本当の安心は愛を育て、愛を深める

だから、
気がついたこと
いただいた恩恵は
そのままにしないで
すぐに使う、即実行
やってみて
結果を出して
本当の自信を身につける

きゆるぎで教えていただいていることだけ
それをただ実践しただけで、
こんなに楽に幸せになれる。
それをしってしまったんだからやらない手はない。

その経験が、自信になる。
安心して委ねて、また次のステップへと取り組める。

きゆるぎ大祭で教えていただいたこと、
気づいたことたくさん!

即実行するぞ〜(^0^)/

喜柔生の神様
宗家
そしてささえてくれるみんな
ありがとうございます!


きんとうん