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“あやまる”ってことについて考えてみた。

仕事でも人間関係でも何でも、何かミスをした時にあやまる。

「ごめんなさい」とか「すいません」って。


あやまるってことは、もう同じ失敗はしませんっていう意思表示だと思う。

あやまったみかんがすべきことは、
落ち込むことでも、罪悪感を感じることでも、
もちろん逆切れすることでもにゃい。

そのやらかしてしまったミスはどうして起きたのか。
そういう現実創った自分の意識を明らかにして、癒す。


それをしないでただあやまっても、
その場はしのげるかもしれないけど、誰も何も幸せにはならない。

そして、また違う場面で同じようなミスをする(笑)


きゆるぎ祭前後でそれをいやというほど教えていただきました(爆)


ということは、
落ち込む・怒る・誰かの(何かの)せいにするっていうのは、
魂の成長を求めるみかんにとってはぜったいやってはいけないタブーなのだ。

落ち込む・怒る・誰かの(何かの)せいにするって、
そういう態度をとること自体が神様への反逆だとわかんないとね。

そしてそれは、共に魂の成長を求める仲間がそういう態度をとっている時に、
「しょうがないよね。」「大丈夫だよ。」「気にしなくていいよ。」「そういうこともあるよね。」
って無責任な言葉をかけてる自分も同じだ。

エゴをエゴで容認する。

今まで、自分の中にある恐れから何度もエゴでエゴを容認することをしてきた。


もし、そういう態度を取ってしまったら、
容認した方も容認された方も、
自分が魂の成長だけを願っているのではないことを認め、
神様へ反逆している自分をしっかり引っ張り出してきて、
魂の成長を望む自分に統合する。


魂の成長を望むなら、
解決策は本当にそれしかないんだということを身に染みてわからせていただきました♪



みかん