どれだけ自分のやり方を手放し、
神様に自分を明け渡せるか。
つまり、自分が普段どれだけセンターに居続けてるか。
愛手を深めるってそういうこと。
愛手の稽古の目的。
どこにいても、どんな時も神様を感じそこに自分を合わせていく。
慣れないうちは、どうしても無理矢理そうしようとする。
余計なところに余計な力を使ってΣ(T□T)
そしてますますセンターから外れてく。。
神域での稽古は、とてもそれがやりやすい。
自分がズレていることも普段より感じやすいし、
どういう風にどこがそうさせているかもわかりやすい。
もちろんちゃんとセンターにいる感じもわかりやすい。
神様の援助がとても受け取りやすい。
稽古の後、宗家と共にみんなで参拝ができる。
八幡さまで稽古できることの有り難さを、
今更ながら痛感しています。
当たり前のように使わせていただいていたけど、
もしかしたら使えなくなることもあるかもしれない。
実際東北の震災の後はしばらく使えませんでした。
もっともっと感謝して、そのチャンスを取りこぼさないよう、
一回一回の稽古を大切にしていこう。
みかん