その思い込みがうまくいかない現実を創っている!

自分の中で人に対して

悪いイメージを創って

思い込んでしまうと

そのイメージ通りになっていきます

 

これは私が体験したことですが

ある出来事から

『この人は私に不都合を与える』

『心配、不安、恐怖を与える』

と思い込んでしまいました

 

たった一度

そう思っただけで

さらに思い込みが強化されることに

出会い続けて

 

いつのまにか

その人の事を自分の中で

モンスター化していました

 

そんな思い込みに気づいて

その思い込みを手放しました

 

すると

モンスターはいなくなって

その人の笑顔、優しさ、信頼できる姿に変わりました

 

関係性も改善されて

その人が持っている創造の力を

発揮できるようになりました

 

『思い込みを手放すってどうやってやるの?』

と思った方は

きゆるぎセミナーにいらしてくださいね!

 

お待ちしてまーす( ´∀`)

愉快な一面

人は自分自身と出会い続ける、という、スピリチュアルの真実があります。

先日、お昼に職場で昼食時に話をしていた時のこと。周りのある人が、某アニメについて話をしていました。春には毎年映画になり、人気の高い探偵物のアニメ作品です。その映画を借りてきて見た、という事と、他にそのシリーズでのオススメを知りたいとの事でした。

職場でアニメの話をしたことはなかったのですが、まるで自分自身のようだと感じて、とても愉快な気持ちにもなりました。

その作品には、アクションも、ロマンスも、謎解きの楽しみや、ワクワク感もあり、いつも楽しんでいましたが、職場に同じく楽しんでいる人がいる、という事にも親近感がわきました。


そして、もう一つ面白い事として、ある日、時を同じくして、仕事場にある、大きなテレビ画面の映像から有名なディズニー映画が流れていました。

テレビ画面が設置され、それは、上司の好きな作品だったらしく、上司曰く、こんな映画を作るディズニーは、本当にすごい。何回流してももあきない!との事。そして、私自身もそれを見た事があるかと尋ねられました。もちろん、何度も見た事のある作品でしたので、それについての話をしました。

真面目で厳格、と思っていた上司とディズニー映画について話をする日が来るとは、まったく予想しておらず、驚きでもありましたが、これももちろん、自分自身がこの面を待ち合わせているから出会う事象です。


世の中、厳しいばかりではなく、時にはこんな愉快な面白い事もあるのだと、しみじみ感じた時でもありました。

自分自身と出会い続ける、それは自分の内に宿る神様が、時にこうして面白い演出をし、楽しいことと出会わせてくれたようにも思いました。


自身自身と出会う、という事は、自分が発している、オーラ、波長に物事が引き合っている、と解釈もできると思いますが、真面目なだけで、重々しい気持ちでいる時と、軽やかな状態でいる時は当然、出会う事象も変わってきている、と思います。

日々過ごしていくなら、より軽やかに、楽しく、柔らかい、そんなオーラで、とも思います。

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みているものを変えていく

もういい歳だから大事にしてあげなきゃ。
助けてあげなきゃ。
いたわってあげなきゃ。

母に向けていた
弱者だから守ってあげなくちゃ
という思いを手放す機会をいただきました。


母にも創造の力が宿っている
何歳になったって
発揮できる力に目を向けよう。

と、それから2ヶ月くらい経って、


久々に実家に行くと、
え? えーっ!? えーーっ!!

真っ白だった髪が3割くらい黒髪に
まつ毛に至っては真っ黒に
なっている…。

80に手が届こうかという母の変化に驚きました。

「この人は弱い」と貼り付けたレッテルにはそういうエネルギーがのっていて
本当に相手を弱くする。

それを剥がすだけで相手を楽にしてあげることができる。
そしてその人の創造の力を信じる人が一人でも増えるだけで
その人の本当の力が呼吸しやすくなっていく。


それを目の当たりにして
あおさの「弱いから助けてあげなきゃ」は本当に余計なお世話、呪いでしかないと痛感しました。


相手の創り出す力にいつもフォーカスする。
その力を信じる。

それをはじめると、自分に対しても
コイツ大丈夫か?と投げかけていた思いが薄らいで、安心感が増しました。


大切な種を自分のなかに蒔くことが出来ました。

運が良いのはなぜ?

宗家はとても運がいい。

とにかくいつも運がいいのだ。
すべてのことが、ドンピシャにタイミングが合っているのである。



武術や治療の時はもちろん、日常生活においても、
例えば、今までずっと雨が降っていたのに、宗家が参拝される時にはピタリと雨が止み、
その瞬間だけ陽が射したという事を、これまでに何度も何度も目の当たりにした。

宗家の治療の予約は、いつもパズルの様にうまい具合にはまっていく。
予約を取る患者さん側からすると、気付かないと思うが
本当に奇跡的なハマり具合で予約がバババンと埋まっていく。

他にも富士山の御来光のお話しはあまりにも有名だし、
宗家が歩けば、閉まっている事が多い踏切だって、スルスル空いちゃう次第だ。

その他にも、宗家の運が良いエピソードは尽きない。



それに引き換え、私ときたら・・・(>_>)

「ひとつ前の電車に乗ってたら、運転見合わせを免れていたのに〜」
なんて事は日常茶飯事。

ちょっとのタイミングのズレで、
ビックチャンスを逃してしまったり、予約が取れなかったり・・・。


そういえば、セミナーの開催の朝の事。
会場近くの駐車場がいっぱいで、
車で行った私は、長時間ヤキモキしながら待って、やっと駐車出来た。

と、そこに、宗家carが登場。
もちろん、“満”表示・・・と思いきや、
宗家carの到着直前、一台だけ出車。
宗家carは、何事もなかったように、待ち時間0で、スルッと入車(OvO)



「な、なんなんだこの差は・・・(-_-;)」



そこで、思い切って
宗家にお尋ねしてみました。

「どうして宗家はそんなにタイミングがいいのでしょうか?
私も運が良くなりたいです!(ToT)」



宗家曰く、

『徳が高いから』



なるほどーーー、なっとく(;^_^A



たしかに、私の心は自分に向いていて、宗家の心は全体に向いている。

私も心を開いて、全体とつながっている感覚がある時は、
頑張らなくてもいろいろなことが自然とうまくいってしまう。



ちなみに、
カカカッとご老公のように笑う宗家より、
さらに追加コメントが。



『考えて上手くいくのは、一流
考えないのに上手くいくのが、超一流

ちなみに、

上手くいかせようと頑張ってる姿が外から見えるほど、
“二流“、“三流”、“そっくりさん”

頑張ってる姿ばっかり外に見せて、ちっとも上手くいかないのが、
“写す価値なし”の人(笑)』

(TV番組『格付けチェック』より)



もう、ぐうの音もでないみどりんでした( ̄▽ ̄;)



みどりん

奇跡の正体は?

父から思いがけない朗報が。

 

「病院、卒業だって。」

 

え"ーーー(@ ̄□ ̄@;)!!

 

 

余命一週間と診断され、宗家に遠隔治療をお願いしたのが8年前。

その後、

要介護5だったのが、なんと要支援1に!!

 

再発どころか、通院もいらなくなるなんて

びっくり!!!

 

さすが宗家、さすが愛手。。。です(#^.^#)

 

 

***

 

 

宗家の治療がすごいのは、

10年以上治療していただいている私ですから、よ~くよ~く承知しています。

 

どんな難病奇病だって、

宗家の“神の手=愛手”にかかれば、絶対に良くなる!

そう信じて疑う余地はありません(*^^*)

 

 

けれど、「病院卒業」と聞いて、

驚くと同時に、

今まで

 

「無理なんじゃないかな?」

 

と、父の可能性を信じていなかったことに気づきました。

 

 

***

 

その人の中にある、

治ろうとする力

元氣になろうとする力

輝いて生きようとする力

 

を信じられないとき

 

それは、

自分自身の可能性も信じていないときです。

 

 

そういえば、

最近、なかなか目標に向かって進んでいないなぁ…

 

そんな最中、

 

 

“あんな”父でも元氣になるんだよ^^

 

父を通して、

宗家が、神様が

可能性を思い出させてくださったのだと思いました。

 

 

***

 

 

可能性とは

 

自分で人生を創れる

という自信

 

さらには

人生は自分が創っているんだ

と自覚している度合いでもあります。

 

 

つまり

可能性を信じられなくなっているときは

その自覚が薄れたときです。

 

 

ですから

 

自信を取り戻そうと思ったら

 

無理やり

「私にはできる!」

と思い込むのではなく

 

まず、

目の前に起きている、あれもこれもそれも、

「ぜ~んぶ私が創ったんだ~(^○^)」

と自覚するところから。

 

 

そうすると、

 

いくつになっても

どんな状態からでも

変えられる

 

という、

ちゃんとした根拠に裏打ちされた自信と、

揺るぎない安心が生まれます。

 

そんな安心から発する「大丈夫(^^)」

それが、宗家の治療『愛手』を支えているのだろうと思います。

 

 

 「そうそう。そうだった。

 あれもこれもそれも、自分が創ったこと。」

 

そうやって、放り出していることに氣づくと、

 

「これも忘れてるよー」

「こっちにもあるよー」

と、氣づかせてくれる出来事が次々と起こります。


一つ見つけては拾い自分の元に、

また一つまた一つと回収していくと、

だんだんと自分の中にも、大丈夫の氣が甦っていきます。

 

そんな大丈夫の氣を育て人生を創り

自分にも目の前の人にも

可能性を見いだしていこうと思います。

 

 

きんとうん

どこに目を向ける?

歯医者さんで、

何度来院しても怖い怖いと泣き叫び治療のいすにも座れないちびっ子がいました。

お母さんも先生も助手のこも、

あの手この手で説得を試みますが一向に出来る気配がありません。

 

その一連のやり取りを他の仕事をしながら見ていた私は、

とても気になることがありました。

 

その子の周りにいて必死に説得しようとしている大人たち全員から、

どうせ出来ないんだろうな・・・

言うこと聞かないな、面倒だな・・・

という氣を感じたのです。

 

その子の心は増々閉じていき、

もはや誰の声も届かずただ泣き叫んでいます。

 

そんな時一瞬私と目があいました。

彼の目を見て、この子絶対出来るのになと思いました。

 

1ミリも疑うことなく出来るという心のまま彼と二人にしてもらい、

他愛のないお話をしていると、

少しずつ彼の心が開いてくるのがわかります。

 

一個づつ何が怖いのか彼と二人で確認していきました。

音が嫌なのか、

金属の質感が嫌なのか、

水が嫌なのか、

 

痛い、怖いと思いこんでいるものが本当にそうなのか、

最初はゆっくり彼のペースに合わせつつ段々とこちらのペースになってきたころ、

8回通ってもできなかったことがその一日でできるようになりました。

 

こちらの都合とタイミングでやらせようとしても上手くいきません。

それは稽古と同じ。

 

そして一番大切なことは、

人の可能性“創造の力”をどれだけ信頼しているか、

言い換えると自分の“創造の力”をどれだけ発揮できているかということでした。

 

きゆるぎ流愛手道で最も大切なことを、

小さな彼から学びなおしました。

 

 

みかん

 

 

 

 

感覚

相手に

「ちょっと肩のこの辺がおかしんだけどみて」などと言われ

どれどれ、とまずは患部に手を添えて光の呼吸をしてみる

「楽になった」と言われ

幹部でない 気になったところにも手を添えてみた

「おー すごいもっと楽になった」

オー!自分ってすごい、人間ってすごい

自分の感覚を信じ意識していれば

可能性が大きく広がっていきます。