体と心の健康

日常の生活、動作と自分自身の人生とはリンクしています。

何かきた、何か問題がおこった、と思われる時、人はついつい緊張してしまいがちですが、それも、実は日常の自分自身の動作や、意識、考え方にもリンクしています。
 
逆にいうと、本当の意味で体や心に緊張がなく、リラックスできている人は、突然何か問題と思われる事がおきても、無駄な緊張をおこさないので、慌てずにそこと向き合うか、うまく対応できます。いわゆる、昔からいう、腹がすわっている人、とは、このような状態に近い人です。


日本人には、侍、武士の文化があり、体を鍛錬する、鍛える、ということは、日常的であったようです。

侍というと、その階級の特権で、他の階級の人達は、体を鍛えることはなかったのか、というと、これが日本の面白く、凄いところですが、町人と言われる人達や、農民の人達も、剣術は行っていなくても、例えば、井戸で水をくむ、人を籠に乗せて運ぶ、飛脚をする、など、あらゆる事に体を動かして、鍛錬することが当たり前の日常に繋がって、現代人に比べると、腹と腰ができていた人達であった、と言われているようです。



現代の日本だと、文明や便利さに関しては幸せな状態で、社会で仕事を持つようになると、体を動かす職業でなければ、よくも悪くも、必要最小限の動きで生活することもできます。


自ら、体を動かす、鍛錬を行う、という意識がなければ、運動不足と言われる状態にもなってしまいます。


動かない事が当たり前、となってしまうと、精神的にも、肉体的にも、もちろん弊害が生まれてしまいます。それは、将来の脳の状態にも悪影響となります。

自分自身も、社会人になりたての頃は、仕事以外に体を動かすことはなく、仕事のストレスのみで、体調を崩した経験があります。今は、武道を稽古するようになり、おかげさまで、運動量が増えたおかげで、昔よりも、体も、精神的にも少し強くなったと思います。
 
 
やはり、体を動かす運動を行う、ということは、本当に健康に直結しているのだと、今はとても感じます。
 

シンプルですが、体を動かして、ストレスを溜め込まない、ということは、メンタルの健康状態を保つためにも、大切にすべきことです。
 
 
             eye



新緑シャワー

子どもの頃は

怪談のような怖い話が苦手だったので、

柳の木を見ると、なんだか怖い

((( ;゚Д゚)))き、き、緊張する~

と、肩に力を込め、息を止め、目を伏せて

通過していました。

誰が、柳の影から…というくだりを作ったのか!!

 

でも、ある時

柳の新芽いっぱいの枝が

日を浴びて揺らめく美しい姿を見てから

柳の木を見て、

ふと湧き起こるイメージが変わりました。

 

こんな風に恐怖を

何かのきっかけで

簡単に手離せることもある。

 

なかなか手放せない

トラウマのようなものもあるけれど

余計な緊張がなくなるだけで

身体も心も軽くなる。

 

職場のある通りは柳並木

以前の私のままなら怖くて

ここで働けないに違いない。

 

余計な緊張、余計な思いが減ったら

人生の選択肢が広がった。

 

緑のシャワー、キラキラ美しいな。

 

もっともっと、余計な緊張を

自分から世界から

取り除いていきたいな☆

 

 

そのまんまが一番

先日、お仕事の取引先の方から、
私が作成した資料に間違いがあるので、修正してほしい
そして、次回以降同じ間違いが起こらないよう、見直しをしてほしい
とのご連絡がありました。

いつもにはない、厳しめのご連絡でしたので、
どうしたのかと思いながら、資料を確認するも、
間違いは見当たりません。

見ている個所が違うのかと思い、
確認すると、
今度は
指摘した箇所が違った、と、
新たに別の箇所のご指摘がありました。

再度見直しましたが、
やはり、間違いは見つかりません。
見ている資料が違うのか?
それとも他に何か原因があるのか?
様々思案しましたけれど、やはり心当たりがなく、

もう一度、
先方の方にもわかるように、写真なども加え、
ご連絡しました。

すると、
先方が、私が作った資料に手を加えているうちに、
もともとあったデータが壊れてしまった
けれど、私が間違えて作ったのだと思った
先方の勘違いであることがわかり、
ことなきを得ました。


***


誰でも間違えることはあるし
勘違いすることもある

なので、
言われたことをどうこうは思わないのですが、
このような出来事に出くわしたのはなぜだろう?
自分の内側の何を教えてくれているのだろう?
そう考えました。

自分が逆の立場であるとすると
どういうことだろう?


これでうまくいくよ、と神様が与えてくださったものを
そのまま使わず、
自分勝手に使って、わざわざそれをうまくいかなくして
うまくいかないのを神様のせいにしている

そんな状態なんだ
と思いました。


与えられたものをそのまま使えばいいんだ
って聞くと簡単なように思うのですが、

稽古をしていても
それがとても難しいことなんです。
貰った力で動こうとしても、
どこか、オリジナルな力を加えたくなったり、
全部使えなかったり、
自分なりの使い方になってしまう

そしてさらにやっかいなことに
そのことに自分では氣づけない
教えてもらっても、
自分はちゃんとやってます!
って認められないんです。

でも、同じことを、日常でもたくさんやってしまっている
それを分かりやすく教えてもらったのだな
と思いました。


自分で氣づけないなら
教えてもらうしかないし、
それに氣づかなければ
うまくいくこともない

自分のこだわりを捨てて
教えてもらって
いただいた力を、そのまんま

そんな生き方に変えていきたいと思います。


きんとうん

コミュニケーション

 

お花屋さんの前を通ったら

なんと!お花をいただきました👀‼️

 

可愛い形に可愛いお色💕

カーネーションだそうです^^

 

なぜお花屋さんがお花を下さるのか、

ありがたいけど不思議に思ったのでお尋ねしてみました。

 

すると、

ご贔屓のお客様が

異常に植物を育てるのが上手らしく、

増えるとお花屋さんに持ってくるのだそう(笑)

 

それを売る訳にはいかず、

お客様にお裾分けしているのだとか。

 

お花を持ってくるお客様いわく、

「毎日お花とお話ししてると教えてくれる」

らしいです。

 

言語以外のコミュニケーション。

 

stage4を前に大切なことを教えていただきました🎶

 

 

 

みかん