それでも進むことを

数年前のある神域、

私は祈りました。祈って祈って。
そうして耳に入ってきたのは
「そんなに祈られたら神さまも困るだろうに。」
という神主さんの声
今の私なら、
祈ってあらわれた“今の私に最も必要なこと”と思える。

でも、当時の私は落ち込む、怒る、泣く、誰かを恨む
ありとあらゆる「受け入れない」を選んで成長の歩を止めていました。

またある時は、やはり祈った直後、靴を履く時に
すってんと転び。

今の私なら、祈ってあらわれた
とってもわかりやすく改めるところを
教えていただいたと思える。
今がその痛みをとかすチャンスと思える。

でもやはり当時は時間をかけて
落ち込むことを堪能することが好きで。
登山で言えば、不要なところで長く休憩して、
身体を冷やして逆にしんどくなってしまうような状態。

それでも、歩を進めて
あらわれたことを受け入れ、内面を変えることを選んで
その繰り返しの途上で
同じ神域を訪れた数年後、
「○日後に、また皆さんでおいでになるのかな^^」
と、神主さんに笑顔で迎えられました。

へこみそうなことがあらわれても、
歩を止めないで
その機会を受け取って癒していく

歩み続ければ、山頂へ近づく

あおさ