癒されることへの抵抗

「癒されたいですか?」

 

と聞かれれば誰しも「はい。」と答えると思います。

 

本当に癒しを進めていこうとする時、

癒されたい自分にだけフォーカスしていると中々癒しを進めることはできません。

 

同時に“癒されたくない”と思っている自分のことに氣づかなければならないのです。

 

なぜなら癒しを進めるとは癒されてない自分を癒していくことだからです。

 

癒されていない自分とは、癒されたくない自分ということです。

 

癒されたくない自分を認識して初めてその自分を癒やそうとなるわけです。

 

ですが意外に何年も学んでいる人であっても、

自分自身の癒されたくない自分に氣づかない方が多い。

 

例えば、

愛手は治療院での治療であっても稽古や合宿での武術であっても、

受けた人は癒されます。

 

正反対のことに見えますが、もたらす結果は同じなのです。

 

愛手の稽古をしていると、

宗家が直接

手を取ってくださる機会があります。

 

『誰か出たい人~?』と宗家が声をかけてくださることがあるのです。

 

その時、

①喜んで手を上げる人

②遠慮して手を上げない人

③手を上げてチャンスは掴んだけどすぐに自分からありがとうございましたと終わらせる人

 

②と③は、まさに自分が本当は癒されたくはないということを証明しています。

 

だって愛手は癒やしの武道だから。

癒されたいのであれば喜んで受け取るはず。

 

そうしないのは癒されることへの抵抗があるからです。

 

新しい人への遠慮や自分は下手だから迷惑がかかるとか、

いろんなそれっぽい理由が本人の中ではあるのでしょうが、

どれも癒されたくない自分を誤魔化すための言い訳でしかないのです。

 

癒し人として生きる私たちにとってそれは、

正直何の美徳でもありません。

 

与えられた癒しのチャンスを取りこぼすことなく得ていく先に、

癒し人としての成長があるのです。

 

 

みかn