何を創造してる?

相手のことを掴んで離さない時、
相手は拘束されて不自由する。
そして掴んでいる自分も、
手が使えず実は不自由。
執着している時はお互いを不自由にする。

稽古会であおさはよく
技をかけたあとに、テイクダウンしようと
している相手から手や目を離さないことがあります。

これも全く同じで、
相手はつかまれたままだと緊張して
テイクダウンしにくいし、
掴んでいる自分も重心が崩れて
グラッとします。

なのに、どうして離さないのか
それはちゃんとテイクダウン出来るか、
怪我しないか心配だから。
出来ない、怪我をする、
そんな相手の不運な未来を意識の中で
先につくっていたからでした。

心配という名の、拘束。
一見いい人そうで
とても迷惑な意識の使い方。
これが多かったな。

相手の中にある
全てを上手くいかせる神聖な意識を
信頼していなかった。
そして、
相手にみるものは自分にみるもの。
あおさは自分の神聖さを信じ委ねてないんだ!

こんなネガティブな先入観で
自分や人を拘束するのを止めると決め、
この意識を持つに至った過去をみていくと、
拘束したり、されたりの歴史がありました。
これから一番根っこまで癒していきます。

そして取り組みはじめて
忘れていた感謝を思い出しました。
宗家に技をかけてもらった時のテイクダウン。
とっても気持ちよく力の流れを感じながら出来ます。
そんな結果を生む意識の構造って?
それを体験しながら、受け取っていこう。

相手が神聖さを発揮している未来を
先に創造する
自分の意識を神聖なものへ
委ねていこうと思います。

というわけで、またお掃除お掃除。

あおさ