最高のものを与えようとするから出会えるもの


ある雨の日、傘をさしていると、突風で傘があおられました。
あ、っと思ったその瞬間、傘はおちょこになり、骨が曲がってしまいました。

突風で傘の骨が折れるなんてよくあること
といってしまえばそれまでですが、
突風が吹いたその瞬間、

「このままだとおちょこになっちゃう、なんとかしなきゃ」
そう思う人格と
「いいんじゃない、べつに」
という人格
時間にしたらほんの0.1秒程度の間にその二つの人格が葛藤し、
その結果、気づいていながら「いいんじゃない、べつに」ってほうを選んでしまったのでした。

***

「いいんじゃない、べつに」

その人格は、自分の人生を停滞させている原因。

このままじゃまずい!
本当にやばい!

その時から、自分の中の
「いいんじゃない、べつに」
の声をなんとかしよう、見逃すまい、と過ごすようになりました。

そうやって意識してみると、
その誘惑の声は、本当にありとあらゆる瞬間に、自分の隙をついて襲いかかってきて、
さながら、稽古で行う、多人数掛けのようです。

よく宗家が稽古中に、
「たとえば、突然後ろから襲われたときに…」
という表現をされ、
そのたびに
「そんなことあるわけないじゃーん(笑)」
なんて笑っていましたが、
こうして、四方八方からエゴが襲いかかってくるシーンに遭遇すると、
「突然背後から襲われる」は“あるある”で、
かかってくるとわかっている相手に意識を集中している稽古中でさえ、中心を保って対処できていないのに、
隙だらけの日常ではできるわけない、
そして、稽古でやっていることを、日常に、人生に活かそうとせず、
ず〜っとこのエゴを野放しにしていたんだな〜、
と今更ながらに実感しました。

***

そこで、この「いいじゃん、別に」という声を聞くたびに

・いつも自分の与えられる最高のものを与える
・後回しにしないで、今もとめられていることを最優先でやる
・そのとき出てくる「やりたくない!」という声を聞き、その源を癒し、購う

この3つを意識して過ごしてみました。

この3つをやることは、
つまりは、中心に居続けるってことだったり、ハイアーセルフの選択をするってことだったり、表現はいろいろあると思うのですが、

ただ漠然と“中心”とか“ハイアーセルフ”と思っているより、
取り組む課題を明確にすることで、
漠然とした“成長”や“成功”ではなく、
目標がより具体的に、身近になり、目的意識をもって日々過ごせるようになりました。

そして、
思わぬところで誰かの役に立てていたり、
人から相談を受ける機会があったり、
成果も具体的に顕れてきているような気がします。

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今思う最高のもの
今与えられる最高のものは
大したものじゃないかも知れないけれど、

こうして、どうしたら最高のものが与えられるかな?
最高のものってなんだろう?
って取り組むことで、
「いいじゃん、べつに」って思っていたときには出会えなかった自分のに出会え、
創り出せなかったものが創り出せ、
与えられなかったものが与えられるようになる
それが成長する、拡大するってことなんだなあだと思います。

まだまだ葛藤の多い人生ですが、
「いいじゃん、べつに」の人生から
「最高」の人生に変え、
折ってしまった傘も、骨の折り損で終わらせず、
天恵(あめ)を受くる最高の傘に大変身させたいとおもいます^^


きんとうん