先日、仕事でミスをしました。
他の方が気づいてくれて、すぐに取り返すことができ、事なきを得たのですが、
そのミスが発覚した時、
「やばい!」
と思いました。
それは、ミスをしたことではなく、
本当はそのミスに氣付いていたからです。
***
思い返してみると、
氣づいてやり直すチャンスが何度となくありました。
けれど、そのたびに、
「まいっか」
と、あえて、“やり直さない”という選択をしていました。
まさに確信犯!
不可抗力とちがい、分かっていながら敢えてやった確信犯は罪が重い!!( ´△`)
その確信犯、いったい目的は何なのでしょう?
犯罪を犯す人には、必ず何か“動機”があるに違いありません。
さっそく、捜査開始です。
手を抜くことで空いた時間で、何かやりたいことがあったのか、
ミスすることで誰かに迷惑をかけたかったのか、
仕事ができないやつだ、と思われたいのか
誰かのせいにして、貶めたいのか、
…
よくよくその時の心の動き、それに至るまでの経緯、等、
洗いざらい検証していくと、
一つの答えに行きつきました。
その動機は、いつもの「まいっか」に共通するもの。
動機が一つなら、その根源を癒せば、すべての“事件”を解決に導くことができます。
出来るだけさかのぼって、一番最初に「まいっか」と済ませてしまった原因を特定し、
その間違いを謝罪し、「まいっかじゃない」方を選択しなおします。
そのとき、迷惑をかけた人、傷つけてしまった人もたくさんいますから、
それを認め、選び直すことは、とても勇気のいることですが、
誠実にそれを行っていくと、
自分の無意識に積もり積もっていた罪悪感と恐怖が少しずつ減って
心も体も軽くなっていくのを感じました。
そして、間違いに気づいたとき、
認める勇気、謝る誠実さ、選び直す意志力が強化されていくようでした。
***
大なり小なり、間違いを犯さない人はいません。
でも、すべての人がそれを素直に認められるわけではないでしょう。
謝れる人、選び直していける人はさらに少ないでしょう。
けれど、それができて初めて、本当に癒された、癒したということになるのだな
と実感しました。
小さなことからでも、ひとつずつ向き合い、
癒しの機会を積み重ねていこうと思います。
きんとうん