心の持つ方向

学生時代、家をでて寮生活をしていた時期がありました。規則が厳しく、時間通りの生活を強いられる中での生活で今考えてもちょっと大変だな、と思います。ただ、大変な事ばかりではなく、厳しい中でも楽しみはありました。

 
 
生活を共にする中での友人ができ、学校の教室で学びを共に行い、寮に帰ってからのち日常でも勉強の話や、家庭のこと、趣味のこと、様々な事を話し仲良くなっていきました。おそらく、学校内だけではもっと表面的な付き合いになったのでは、とも思います。
 
 また、田舎にある学校だったため、自然が美しく、学校の前には桜の並木道が続いていて、春には見事な桜が咲く様を眺めるこたができ、見渡す限りの美しい桜並木も見ることができました。空気も綺麗だったせいで、夜になると星が綺麗に見えていて、夏には天の川もはっきりと見ることができ、それを眺めてから寝るのが日課でした。
 
 盆地にあったためか、朝に霧をよく見ることもありましたが、霧が深い朝には、たいがい昼頃には晴れてよい天気になることが多く、天気のことにも気がつくようになりました。
 
時間通りに生活するのはそれなりに大変でしたが、案外、規則正しい生活は、自分自身の心を引き締めてくれる、という事も学びました。
 
 何より、寮生活で親元を離れる事で、実家にいた時にどれだけ恵まれていたのかも知ることになり、周りの環境に合わせる大切さを学び、親にも、周りの自然の豊かさにも、友人にも全てに感謝する、という心をそこでは学んだようにも思います。
 
 やがて、社会人になり、仕事をはじめたばかりの頃、なれない環境と仕事のストレスで、体調が悪くなった頃もありましたが、今思えば、学生時代にしていたように、周りに対して、自分が触れている、生かされている環境や自然に対して、感謝をあまりせず、文句ばかりを言っていました。その当時、具合が悪くなってしまったのも、まさしく、おこるべくしておこった事、と解釈できます。
 
 大変だっのは間違いありませんが、感謝する、祝福する、という事を忘れてしまうと、ただただ日常に流されて良いことも悪い事も、ある意味、他人の行動や言葉に翻弄されてしまいます。
 
 
 自分も周りの環境も人にも、感謝と祝福の心で生きることは、幸せに生きることへの真髄でもあり、はじめの一歩でもあります。
 
 
 
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