言葉の重み、意図

うちの奥様が、自動車の運転を再開してから

もう5年ほどたちます。

30年以上運転してこなかった人がなぜ運転する気になったのか?

 

それは、「運転できるといいね」

という師匠である宗家の一言から始まりました。

 

私もズーっと「運転しろー、運転しろー」と

さんざん言ってきたのですが一向に運転する気はありませんでした。

 

なのに、宗家の一言で、チャレンジし始めて

5年たった今では一人でほとんどのところに行ってしまいます。

 

私が「運転すれば」と言っていたのは、自分が楽になるから

という思いで言っていたので

運転を怖がっている相手が「よし運転してみよう」とならないのは当然です。

 

宗家の言葉には

運転出来たら、素晴らし未来があるよ。豊かになっていくよ。

という感じに思えて、想像が膨らんでいきます。

 

実際、運転するようになってからは、

まずは私の帰りを待たなくても買い物に行き、

私が家に帰ると車がなく、出かけていないことも結構あります。

どこに行ってきたの?と聞くと、

いろいろな遠い神社に行っていたり、夕日を見に行っていたり。

 

自分で運転できない時は、私と一緒に出かけるか、電車やバスで

行っていたいたのに、今では自由に走り回っています。

 

そのことを考えただけでもすごく自由に楽になったように思います。

周りの人たちにも良い影響を与えていると思います。

 

宗家の言葉と、

私の言葉、

比べるのも、おこがましく申し訳ありませんが

 

重みと意図が違うと、相手に、周りに与える影響力の違い、

結果もまるっきり違ってきます。

 

ですから、言葉を発するときは、相手だけでなく、

すべてのものに影響を与えていることを自覚して

周りが幸せに、豊かになるような

言葉を発していきたいと思います。