みかんの場合


稽古で

「これやってみて」

って

宗家がデモで何回かやって見せてくれます。



で、なかなかその様にできないことが多々ある。



でも最近は

自分のエゴや感情全く野放し状態だった頃のみかんに比べれば

覚えられない、見たままできない

ってことちょっとは克服できてきた。(と思う(笑))



宗家のお手本どおりにやりたい時

まずは記号的なことだけを見て覚えようとしがちなんだけど

実はこれが結構落とし穴な氣がします(^_^;)



宗家がロボットみたいに

ただ記号的な動きをしているだけならそれでもいいかもしれないけど


そもそもロボットじゃないし
武術経験もなけりゃ芸術性や匠さを全く意識してない人でもあるまいし
なんてったって“宗家”だし(笑)


記号的なことだけに囚われて観察していてはなかなか難しいと思う。



自分の感覚でみないと。



記号的なことをコピーしたい時でさえ

自分の感覚でみる。



それがとても大事なんじゃないかなぁと。



外見だけを真似するんじゃなくて

宗家が感じているであろう体や意識の感覚ごとまるっと真似するつもりでみる。



もちろんそんなこと簡単ではないんだけど

その意識すら自分にないと上達って難しいと思って

みかんはその辺を常に意識して稽古しています。



時々宗家が

記号的なことは同じことをしているのに

全然違う動きをすることがある。



感覚・感性でみないとその違いっていつまでたってもわかるようにならないなって。



そんでもう一個みかんが昔のみかんと変わったことがある。



それは“宗家にできることはみかんにもできる”ってこと。



冗談でも思い込みでもなく本氣でそう思うようになった。



調子に乗ってるとか宗家のことナメてるとそういうんじゃないですょ(・・;)



まじめにねっ。それは宗家に対してだけじゃなくって。



その意識が自分の中にあるからこそ

自分ができなかった時に

あぁ、なんか私おかしいんだなってことに氣づける。



「本当はできるはずのことができないなんておかしいっ!!」って。



誰かにできたことが自分にできなかった時

“あの人だからできるんだ(あの人は特別だから)”って意識がなくなるから

自分がなんかおかしいんだな、なんか違う事してるんだなって素直に認められる。



そして、素直になるから

じゃぁどうすればできるようになるかなってこともわかりやすくなる。

素直になるから

こうするんだよってありがたいアドバイスをいただいた時にパっとできるようになる。



なので最近特に普段から『感覚』を大事にするようにしています。



前にも書いたけど、芸術に興味と関心を持ちだしたのもそういうことであります(*^^*)



自分の感覚で選んだものが上手くいく結果をもたらした時の清々しさも感じるようになってきた。


逆に感覚に従って、よかれと思って選んだことの結果が思わしくなかった時は

やっぱりなんか違ってたんだなって自分の中をみるようにする。



そんなトライ&エラーを繰り返しながら感覚・感性の軌道修正を行うようにしていると

なんかゲームみたいでおもしろくなってきた。

これなら飽きっぽいみかんでも続けられそうですっ♪



みかん