日常よくある出来事から

先日こんな出来事に出会いました。

***

あるものをつくりたかったAさん。
Aさんが持っている道具はちょっと古くて、それをつくるにはちょっと大変。
それを知ったBさんは、Aさんを手伝ってあげました。

Aさんは、Bさんのおかげで、無事それをつくることができて、
Bさんにとっても感謝して、Bさんも、Aさんがつくることができたこと、役に立てたことを喜んでいました。

AさんもBさんも幸せ、みんながうまくいって良かったね^^
そして、
AさんはBさんのことを、「困った時に人を手伝ってくれた良い人だなあ〜」
BさんはAさんのことを、「努力して頑張っている偉い!」
そう思ってその場を終えました。

***

ところが、後日、実はAさんは新しい道具を持っていることが発覚しました。
まわりから何度も、「これ使ってごらん」といわれているにもかかわらず、
使い慣れない新しい道具を使うのを後回しにし、
つい、使い慣れた今までの道具が手放せず、すっと同じようなことを繰り返していました。

もしそれをBさんが知っていたら、どんなことをしたでしょう。

「新しい道具を使ういい機会だから、使ってみたら?」と勧めたかもしれない、
「間に合わないなら今回は手伝うから、ちゃんと新しい道具使えるようになろうね」と
アドバイスし、後日新しい道具が使えるようにお手伝いをしたかもしれません。

いずれにしても、
Aさんが成長、発展する、ということにフォーカスし、その人に今必要な適切なアドバイスするためには、
Aさんの言っている言葉だけを聞いていたのではわかりません。
その人の状況、背景を、より高いところから、より深く広く見る必要があります。

そして、自分がその言動を与えることで、本当には何をしたかったのかは、
その場が丸く収まることではなく、その後のAさんが結果として成長したか、豊かになったか、それを見ていくことで初めて分かってくる
それが、責任を引き受けるということになってきます。

でも、知識としてはわかっていても、いざそういう現実が目の前に起こると、
世間でいう「良い人」としての行動で満足してしまったり、
その場かぎりの無責任なことをしてしまう、
逆に、自分が困っているときに、誰かがギフトしてくれるものに対しても、
その場をうまくやり過ごすことに協力してくれる人を好み、
心地よい言葉を言ってくれる人を優しい人と思い、
本当に自分にとって成長するアドバイスをしてくれる人、成長の機会を与えてくれる人に対して、
「こんなに困っているのに助けてくれない」
「自分はひどいことをされた」
と文句を言って、攻撃しているんだということも、今回の出来事が改めて教えてくれました。

***

自分が良いことをしているつもりでだれかの成長を妨げていないか、
頑張っているつもりで成長すること、成長を促すものを拒絶・攻撃していないか、
その場しのぎで、安易な方法を選んでいないか

より深く自分の中を見つめ、
少しでも高いところから広く状況をみて、物事を解決していく
日常の中で、日々トレーニング^^


きんとうん