部屋の大掃除をしてゴミ捨てをして出掛けると、
仕事先でお客様ともめた人が泣いていました。
次の仕事先でも仕事のミスで
泣いている人がいました。
どちらも以前から問題があるな、
と周りもうすうす感じていたことが
表沙汰になったような出来事がきっかけでの
ことでした。
たて続けに起きて、どちらの時にも感じたのは、
辞めてしまうかな?
この委託された仕事、これがきっかけで失うかもな…。と、
そんな後ろ向きな思いばかりが先に浮かぶ自分に
ハッとしました。
こんな風に、くすぶっていた問題が
表沙汰になったなら、それは内側を見直して
改めていくチャンス。
それなのにふと思うことが、救いのない後ろ向きなことばかりで、
人には改める機会が与えられていることを
信じていない自分に氣がつきました。
わたしの意識の世界には、
改める機会がない、許しがないんだ。
そう思ったら、なんて窮屈なんだろう。
全く救いがないな、と愕然としました。
余計なものを捨てたら、こんな風に
隠していた自分の信念が
わかりやすくあらわれました。
許し許され、
愛し愛され、
受け取り与える。そっちが本当。
この機会に、許さず裁いて見切りをつけるという
今までの自分の信念世界を捨てて
いこうと思いました。